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大村はま先生に学ぶ

私が言うまでもありませんが,大村はま先生は国語教育のために73歳まで現役教師として活躍されたすばらしい先生です。
中学校の英語の教師である私にとっては,たいへん縁遠い先生と思っていました。
古書店の店頭にあった単行本「大村はま 教室に魅力を」(国土社)との出会いがきっかけで,先生の実践に触れることができました。
子どもたちに向かう先生の,どこまでも厳しく,そしてどこまでも温かい姿勢に,教師としてのあるべき姿を見つけた思いがしました。

その後,
など,手に入る著作をむさぼるようにして読みました。

私自身の授業を振り返り,心がけてきたことなどとすり合わせ,得心のいった数々の言葉を以下に紹介いたします。

大村はま先生 略歴

1906年 横浜生まれ
1928年 東京女子大学卒業。長野県諏訪高等女学校へ赴任
1938年 東京府立第八高等女学校に勤務
1947年 新しく発足した深川第一中学校に転任
       単元学習と呼ばれる方法やグループ学習,個人差に応じた指導等に取り組む
1963年 ペスタロッチ賞受賞
1980年 公立中学校の現職教諭を退職(73歳10ヶ月)
2005年 逝去(享年98才)

【優劣のかなたに】

しかし,劣等だとか,優等だとかいう世界の向こうの世界へ子どもを連れていくことはしなければならない。
教室で座りながら,できない,つらいなどと思わせる,片っぽうは反対に得意になっているとか。
これも人間を育てる世界らしからぬ世界で,そういうところに子どもを置いてはだめです。

……ただ教室のなかで優劣の向こうへ生徒をもっていくことだけは,これはしなくてはいけないことでしょう。

教室のなかで,それぞれ学習に打ち込んでいて,それぞれ成長していて,だれができ,どの子ができないなどと思っているすきまがないようにしなければならないと思います。

……できるとかできないとかということを忘れて,全力をふるって,うちこんでやっていく。
一生懸命やっていく,その向こうで,その気持ちのなかで,できる子ども,できない子があっても,そんなことに関係のない世界をつくっていくことができないか。
……おもしろい授業を力いっぱいさせて,生徒に自分が劣っていることを忘れて打ち込ませるところまではもっていかなくてはと思っています。
みんな一生懸命になっているとき,そんなことが気にならなくなってしまうのですね。

そういうところを目ざして,いろんな工夫をしてきました。

大村はま著「大村はま国語教室11 国語教室の実際」(筑摩書房)

【学びひたろう】

学びひたろう
教えひたろう
優劣のかなたで

苅谷夏子著「大村はま60のことば 優劣のかなたに」(筑摩書房)

【教室は学習そのものをやらせてしまう場所】

教室は,「やってごらん」という場所ではないからです。
それをやらしてしまう場所だからです。
「もっとよく読んでみなさい」「詳しく読んでごらん」,そういう場所ではなくて,ついつい詳しく読んでいた――そういう自覚もないぐらいに――詳しく読む必要があるのでしたら,その場で詳しく読むという経験そのものをさせてしまうところです。

「読みかたが粗い,まだ詳しく読んでないではないか」,そういうことをいう場所ではない。
それでは何にも魅力を生まず,ありがたい場所でもない。
それは,おとなに向かって言うことであって,子どもというのは,これからどんなにか成長するのですが,いまは子どもです。
ですから,学習そのものを,やらせてしまわないとだめだと思います。

「やってごらん」「できたか」これはもう禁句だと思います。
やらせてしまわないとすれば,教師の方が,怠慢だった,教師のいたかいがなかったことになります。
「こうこうですよ」「やってごらんなさい」「できましたか」「それじゃ,まだだめですよ」と,そんなこと言うために先生をしているのかと思います。

大村はま著「教室に魅力を」(国土社)

【教室の魅力とは――どの子にも成長の実感があること】

私は,中学生のよくない話,荒れる話はもちろんですが,学力がないとか,つまらない話し合いをしているとか,書くことがなくて,むなしく作文の時間を過ごしているとか,活字離れで本を読まないとか,そういうふうなことを聞きますたびに,たいへん心が痛むのです。
自分の教室が今ありませんので,直接だれの顔を思い浮かべるということはないのですけれども,なべての中学生へのいとおしみのようなものが,私に残っていて,そういうことを聞きますと,在職中に自分の教え子のことをいろいろと言われたりした時と同じような,たまらないような気持ちがするのです。

そして,そういうことは,みんな,教室に惹かれるものがないから起こってくることだという気がして,いつも心の中で,「教室に魅力を」と,願うのです。
ある時は,そう叫びたいような気持ちがいたします。
それで,お話の題を「教室に魅力を」といたしました。あえて,良い,というふうなことばを使いたくないのです。
良い,悪いは,簡単に言われませんし,何を良いと思わなければならないということも言えません。
良い,悪いは,むずかしいと思います。
良い授業,良くない授業,そういうことを言うことは,むずかしいと思います。
今日だけ,良くなくみえても,それがどういう芽生えをみせるかも,わかりません。
相手の子どもたちはたくさんいるのに,そう簡単に,だれかの授業に対して,これは良い授業だ,これはいけないんだということは,言えないという気がします。
そういうことはむずかしくて,言えないという気がいたします。
けれども,魅力というのは,そういう世界とちがうのです。
いいからでも,なぜだからでもないのです。
何だか,心惹かれてならない,そういうものが,教室にあったらと思うのです。

私は,それが,よくできる子どもも,あまりできのよくない子どもも育てていくものになるという気がして,魅力ということばで考えてみたいと思うのです。

教室の魅力というのは,できがいいとか,悪いとか,そういう世界を越えたというのか,それとは比べられない別のところに生まれます。
学校でなくても,人と人との間でも,だれがどう偉いからということではなくて,わけは言えないまま,ただ惹かれることがあります。
あれと同じものと思うのです。
教室にそういう魅力があったら,本当に,あのことも,このことも,解決できるのではないかと思います。

その魅力というのは,簡単に言いますと,どの子にも,確かな成長感があることではないかと思います。
自分自身が何らかの成長の実感がないときに,魅力を感じるということは,まず,ないのではないでしょうか。
どんな低いところからの出発であろうとも,とにかく,自分自身が,そこで何か育っているという実感があれば,なんとなく離れられない気持ちが出てくるでしょうが,そういうものがない限り,非常にいい授業といわれるような授業でありましても,私は,やっぱり,魅力というものにはなっていかないのではないかと思うのです。
その魅力を生じるような,学習の状態――ひとりひとりが自分の成長を実感しながら,内からの励ましに力づけられながら,それぞれ学習という生活を営んでいる,そういう状態を思いますときに,私は,それは単元学習によってこそできることであると思うのです。

単元学習といいますと,教材がどっさりあって,聞いたり,話したり,読んだり,書いたり,話し合ったり,立ったり,座ったり,出ていったり,とにかく,ごちゃごちゃごちゃごちゃした,こみいった,そういう感じをまず持たれるようです。
もっと好意的な言い方では,教材がどっさりあって,学習活動が非常に多様である。
それで優れた子どもも,劣った子どもも,それぞれに成長する。
そういうふうに考えられていると思われます。

しかし,その優れた子どもも,劣った子どもも,それぞれに成長するという話になった時に,主として,浮かんでくるのは,できない子どもの方のような気がします。
そして,その魅力あるということは,劣っている子どもに魅力がある,劣っている子どもが,打ちこんで勉強ができる,成長感がある,そういうふうな方へ,受けとられることが多いと思うのです。
それはもちろん大事ですけれども,それだけではないのではないかと私は思うのです。

教室の魅力は,力の弱い子どもを救うことでは半分しか生まれてこないと思います。
力の弱い子どもが張り合いよく学習していると同時に,力のある子どももいきいきとして学び,語り合い,豊かな力を出し切って努力している,頬をほてらせているようでないと,教室に魅力が生まれません。
ところが,これは力の弱い子どもにやりがいを感じさせることよりむずかしいかもしれません。

大村はま著「教室に魅力を」(国土社)

【優劣を超え,成長の喜びを知る学習】

教室はとにかく,一段一段と力がついていくのでないと,教室と言わないのではないかと私は思います。
ほかの生活のどの場所にも,そういう所がないのです。
楽しく暮らす場所は,いくらでもありますけれども,ぐんぐんと,学力がついていく場所,それを専門に目ざしている場所が,教室なのです。
いかに楽しくても,そういう姿が見られないのは,教室ではない。
あるときはもう,つらくって,力のかぎり,ぎりぎりのところでやっている,力の伸びるのは,そういうぎりぎりまでやっているときと私は思います。


少し力の弱い子どもをその状態にもってくることは,そうむずかしくないと思います。
力のある子どもを,その姿にさせるには,指導者にそれだけの実力がいります。
その子の優れた力を,はるかに上まわる,ゆたかさ,幅の広さ,高さがなければ,彼を夢中にさせることはむずかしいと思います。

私たちおとなとしましても,力いっぱいやるより仕方がない。
それでだめということはもちろんあります。
だめでも,仕方がない。
そこまでしかやれなかったのですから。
私自身の経験でも,そういう精いっぱいのところまでやったとき,ふっと,なにか,見つけることがあったのです。

自分をもそういうところに追いこまなければなりませんが,子どもも,もちろんそうで,にこにこさせるばかりが,単元学習ではない。
楽しいという感想が出ることだけを期待するのではない。
力がしっかりついて,泣きながらもやれたということでないと,――楽しくおもしろくなければ,やらない,苦しみとともにある楽しさを思わないということでは,卓越した言語生活者どころではない,と思います。

大村はま著「教室に魅力を」(国土社)

【持っている「力」というのは,使い切った時に伸びるもの】

子どものことというより,自分の身を振り返って考えたのですが,持っている「力」というのは,使い切った時に伸びるもののようです。
大してない力でも,ありったけ使うと,また,どこからか湧いてくるのではないか,誰かが哀れに思って賜わるのではないかと私は思いますが,使い切らないことには湧いてはこないようです。
ですから,少ししか使わないと何も伸びてこない,生まれてこないという気がします。
かわいそうになるほど,持っている力をみな使って途方にくれるようにすることが,次の力を得るもとになるようです。

大村はま著「教室をいきいきと1」(ちくま学芸文庫)

【ほめるタネをまく】

子どもはほめることが大切だ,それは常識的なことで,知らない教師というのはないでしょう。
それはそうなんですが,ただいいことがあったら,いいものが書けたら,ほめようということだけではなくて,いつもほめるタネをまいていかないといけないと思います。
教師としては,ほめるタネを一生懸命作らなければいけない。
ほめることの大切さを,ほめるタネをまくことの大切さと並べて心に留めておく--いえ,タネをまくことのほうを重く考えたいと思います。

大村はま著「教室をいきいきと1」(ちくま学芸文庫)

【仏様の指】

戦前にね,諏訪時代にしごかれた奥田正造先生が仏様の話をされたの。

仏様がある時,道端に立っていらっしゃると,一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。
車は,そのぬかるみにはまってしまって,男は懸命に引くけれども,車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても,どうしても車は抜けない。
その時,仏様は,しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが,ちょっと指でその車におふれになった。
その瞬間,車はすっとぬかるみから抜けて,からからと男は引いていってしまった。


指が触ったことを男は知らない。自分の力で抜いたと,思っている。そういうのが本当の教育というものだと。

大村はま著「教えるということ」(共文社)

【へたな発表はさせない】

生徒の発表でへたなものがよくありますが,へたな発表などはさせるべきではないと思います。
へたな発表しかできないのなら,聞く力をつけるための妨害になりますので,発表という形式をもう少し待つべきだと思います。
そのクラスで今教えている子どもは,発表ということをするところまで成長していないということです。
……まずい発表を,友だちがやっているのだから我慢して一生懸命聞くという教育もありますが,それはそれで別の目的だと思います。

大村はま著「大村はま国語教室11 国語教室の実際」(筑摩書房)

【楽しくない教室は,教室にはならない】

楽しいということは,それはどういうことか。面白いとか,興味とか,そういう言い方もできると思いますけれど,それは必ずしも笑っているということではないと思いますし,ハイ,ハイと手を挙げていることでもないと思うのです。
楽しいということは,そういうものではないと思います。
何を楽しいと思い,何を面白いと思い,何に興味を持つかということは指導されなければならないということで,ただ子どもの興味の後についていくことではないと思います。
その人が何を楽しいと思うかはその人間を表しております。
ですから,楽しく思うべきことを楽しいと思うかはその人間を表しております。

ですから,楽しく思うべきことを楽しいと思うように指導する立場を忘れないようにして,楽しさを建設しないと,楽しいけれども学力がつかないという教室になる心配があります。
面白いけれども力はつかない,こういうふうなことになりますと,これは教育の場にはいらなくなります。
ですから,楽しいという教室をということも,考えてみると,教育の全部を含んでいるような大きなことだと私は思います。
そして,今,その楽しさの指導がとても欠けていると思います。

本当に子どもを楽しくしようと工夫し努力していらっしゃるいい先生の中に,子どもについていくような,ちょっと言葉がよくありませんが,子どもの興味にこびていくような,そういうところがあって,本当に楽しさの楽しさたるものを指導しようとする,本当に楽しいものを楽しいと感じる人間になっていかなければならないということの指導が足りない。
それで,楽しい教室をといったときに,何となくうわついた感じがして,楽しければいいというものではないといったような反論が出てきたり,かえってその反対に,たとえ今楽しくなくても後に楽しければいいんだ,そういうふうに考えられたりするのではないかと思います。
おとなになってから楽しければいいんだ,そういうふうに考えたりするのではないかと思います。

大村はま著「教えながら,教えられながら」

【思うようにならなくて当り前】

自分の思うようにならないとか,いくら教えても成果が上がらないとか,そういうことに教師は驚かないようにしたいと思います。
一生懸命やれば必ず成果が上がるわけではないからです。
思うようにならないのは当り前のことなのに,どうしてかそれが我慢ならないようになって,あれだけ教えたのにこんなだ……そういう失望のしかたが,教師の場合,少し大きいように思います。 教えたことは全員が必ず同時に,いっせいに,心から受け取ってできるようになる,それが当り前と教師は思っているところがあります。
それで,できないとびっくりしたり腹が立ったり悲観したり,いろいろなことが起こるわけです。
用意,ドン!で厳密に同じ瞬間に出発させても,そしてみんな力いっぱい走っても,ゴールインはまちまちでしょう。
そのように,同じ時,同じ話を聞かせても,同時に同程度にわかったりできたりしなくても当り前で,驚くほうがおかしいのではないでしょうか。

教室に限らず,世の中のこと,自分のすること,そんなにたやすく思うようになるものではない,そういう当り前の人生の見方が足りなくて,思うようにならないということが,不当に悲しまれすぎているのではないでしょうか。
当然のことと覚悟してくじけずに立たなければならない時に,ひどくくじけてしまって,それが腹立ちになったりしているような気がします。
焦りになると言ったらいいかもしれません。

もっと,人,人の世というもの,そういうものを本気で大きく見て,そこでは多くの努力がどんなにむなしく消え去っていくものか,報われることはいかに少ないかということを覚悟して,そんなことで自分を失わないようにならないと,人の子を育てることはむずかしいのではないでしょうか。

大村はま著「教室をいきいきと1」(ちくま学芸文庫)

【魅了を失わない話し合い】

それから,話し合いのあと,全員が発言しなかったというお小言。
こういうのは,非常に魅力がないと思います。
普通のクラスみんなで話し合いをしているのでしたら,クラスのみんなが発言するということは,だいたいないのです。
そういうことは,期待してはいけないこと。
時間的にもむりです。
40人もいる子どもが,ひと言でも話したら,何分かかるでしょう。
そういうことも忘れて,「発言しなかった人もあるな」といったような,いやなことを言われることがあります。
そして,いっペんに,少しあった魅力さえなくなってしまいます。

そういうことではなくて,ほんとうに発言が偏って少なく,多くの子どもが話す内容もなく,したがって意欲もない,沈滞した空気になったのでしたら,それは,話し合いの事前の指導の失敗でありましょう。
話したいことを,ひとりひとりにもたせられなかったということです。
あるいは,その話し合いの準備の時間がはじめからなかったのかもしれません。

いきいきとした話し合いは,話し合いの事前の指導が十分でありまして,みんなが言いたいことを胸にいっぱいもっている,それが発言になる,知らず知らず教師によって発言を導かれているのです。
言うこと,言いたいことがあれば,とにかく話し合いに参加できます。

初めから言うことがないのでしたら,元気を出してと言われても中身がないのですからどうにもなりません。
何も話す内容のない子どもがいるのに,話し合いの学習を始めることが,おかしいのではないでしょうか。
考えがない人がそこに並んで,何を話し合うのでしょうか。
黙っているのが当たり前,その場にいるのが苦痛で,それこそ拷問のようになってしまいます。
ですから,話し合いをするときには,魅力とまでいかなくとも,話し合いが成立するために,その前に準備の時間をもって,十分話し合いの内容を,めいめいがもつように指導します。
さまざまの考えをみんなの中に育てておきます。

もし教師にそのさまざまな考えがないとしますと,この話し合いは今回はできないことになります。
他の人が言わない自分の考え,ユニークな自分の案をもたせる,そこまで,もっていかれないのでしたら,そういう状態では話し合いをしないことです。
残念ながら,指導が行き届きませんで,みんなの子どもに他の子どもが傾聴するようなことを発言させることができないのですから,仕方がありません。
教師の不始末,力の弱さのため,話し合わせることができない,私ほそのくらいに思います。
話し合いとは,そういうものだと思うのです。

話すことのない人が,話し合いの席にいるということは,学習になりません。
何にもなりません。当てられたらどうしようかと,ハラハラしているばかりですから,何にもならない。
学力がつくもつかないも,何にもならないことなのです。
ですから,他の場合なら,考えがなくても,ほかの人の考えをうかがっているということがあるでしょう。
そうして自分を育てていくので,大切なことであると思います。
けれども,学習としての話し合いというのは,そうではない。
ですから,クラス中で話すなどということは,めったにできないですね。
半分ずつとかになってくるのはそのためで,十分中身の用意がなければ,魅力を失わせるはかりだと思います。

大村はま著「教室に魅力を」

【芦田先生のカン,カンのお話】

私の好きな話,というより何十年も日々思い出さない日のなかった話があります。
この話で私はいくたび危ないところを何とかあやまちをせずに通ってきたかわかりません。

芦田恵之助先生が,東京高師の付属小学校の訓導(当時の小学校の先生の呼び方)でいらしたころのある綴り方(作文)の時間。
子どもたちはめいめい鉛筆を走らせています。
先生は教壇上に,どしっと立って,みんなの書くのを見ていらっしゃいました。
子どもたちが書くとき,先生はいつもそのお姿でした。
「私は沢庵石だ」と先生はよくおっしゃっていました。
何もしないようでも,わたしがあそこに立っているからこそみんなは書けるのだと。

そのころ,手まわしのでも鉛筆削りというものはありませんでしたから,教室にはたいてい鉛筆削り場というか,箱のようなものが備えてありました。
かなり大きな厚い木で囲ったところです。
そこで,切り出しやナイフで鉛筆を削ります。
木ですから刃物の先を傷めず,箱が深いので,芯を削った粉がまわりに飛ぶということもありませんでした。
5,6人はいっしょに削れる大きさがありました。
芦田先生の教室では,それが教室の窓側にありました。

さて,綴り方を書いている中から,一人二人と鉛筆を削りに立ってきます。
静かに立ってきては鉛筆を削っていきます。
ところが,鉛筆削り箱のすぐ横に,花瓶が置いてありました。
その日はきっと花はいけてなかったのでしょう。
子どもは鉛筆を削り終わると,席に帰る途中で,その花瓶を指で弾きます,カン,カン。
次の子も鉛筆を削ると,カン,カン。
次の子も,次の子も,削り終えた鉛筆を片手にして,カン,カン。

付属小学校ではそのころ,父母やその他,参観者がないという日はないのが普通だったそうで,その日もおおぜいの参観者がありました。
その人たちが授業が終わると,どっと芦田先生のところへ寄っていきました。
「出てくる子も出てくる子も,みんなカン,カンといたずらをしていきましたのに,どうして,先生はひと言もご注意なさらなかったのですか」
すると,芦田先生は静かに言われました。
「あのカン,カン,で,だれか一人でも走っている鉛筆が止まりましたか」
参観者は,一瞬黙して,そして小さい声で,
「いいえ」
芦田先生,
「それではいいではありませんか。注意でもしたら,ほとんどの子どもの鉛筆が止まってしまいます」

ほんとうに注意したり叱ったりする,確かな必要のあるときというのは,案外少ないようです。
常識的で一般的な「正しさ」というめがね,こうあるべきという固定した見方にとらわれないように,と,この話を思い出しては,日に何度も自分の心を支えてきました。

大村はま著「教室をいきいきと1」(ちくま学芸文庫)

【専門職としての技術-書かせるくふう】

職業人としての技術

● 素人でも言える指示する言い方

ところで,お話を具体的なものにしたいと思います。国語の話として,まず書かせることに例をとりましょう。
まず,文章を書く力をつけたいと考えます。「どうもみなすらすらと思うように書けないようだ,書く力をつけたいものだなあ」と思ったとします。 これは,子どもが書けないのをみれば,教師はだれでも思うことです。それは一つの慈悲であり,子どもに愛情をもっているからと言えましょう。 書けなくて困ったり,自分の心の中のことを文字にできないようだったら,人間としては不十分だと思います。 ですから,心の中のことがすらすら文字になったら幸せです。逆にそういう技術をもたせなかったら,世の中に出て生活していくことがむずかしいのでは,とさえ思います。
その力をつけたいときに,ふつう,よく「もっと書き慣れてごらん」とか,「日記を毎日つけてごらん。そうすれば書き慣れてうまくなるから」とか, 「もっと一生懸命自分の周囲を見て,思ったことがあったら書いたらどうか」など,そういったようなことが言われます。 私はそういうことで,子どもにほんとうに力がつくかどうか,疑問だと思うのです。 日記を毎日つけていると,ほんとうに大丈夫なのでしょうか。 また,「日記を毎日つけなさい」と言ったことによって,子どもが毎日ずっと続けて書くでしょうか。 ことばで言っただけでは,全く日記をつけない子はたくさんいるのではないでしょうか。 先生の一言によって一生日記を書いた人もあります。 中にはそういう人もありますが,本人に備わっていた力を考えずにはいられませんし,そしてまれな例であると思います。
とにかく,そういう指示する言い方,それは素人でも言えると思うのです。先に私は,教師という職業人として徹したいと申しました。 その立場で,こういう場合,素人では言えないことを言いたいと思います。 まず,「一生懸命なさい」とか,「書き慣れなさい」とか,そういう指示だけすることば,子どもに指図する,命令する, そういったようなことは,あまり先生の言うことばとして価値あることばではないのではないか。 つまり,命令すればやるものと思ったりすることが,教師としての甘さで,命令が出ても, その通りにやる人やれる人がはたして何人教室の中にいるでしょうか。 やらないのはその生徒が悪いのだと言ってしまっては,本職を放棄したことになります。 言ってもやらない人にやらせることが,こちらの技術なのですから。
そう考えますと,書く練習をするときは,「書く練習をしなさい」と言うようなことではとてもだめです。 ほんとに書かせなくては,だめなのです。それも,書くこと,書きたいことが胸にないという状態では,書く練習はできません。 書くことが心にない人は書き表わすわけにいかないと思います。 それから,書かないとしかられると思って書くことがありますが,そういうほんとうに書きたいということがわいてこない状態で書かせると, つまらないことをダラダラと書いたりします。 それでは書くことの練習にはならないのですが,似て非なる練習のようなことをしたことが,練習したことになってしまったりします。 書く練習をしようと思ったら,まず書き表わしたいことを心にもたせることです。 書くことが胸からあふれそうな,そういう状態を子どもにつくって,思わずそれを書きたくなるように, それからそれへと展開していくようにさせなければならないでしょう。 そういう気持ちにさせるのは,専門職の教師でないとなかなかできないものです。
「書きなさい,しつかり」と言うのは,お母さんでもだれでも言えますけれども,子どもを書きたい気持ちにさせるというのは, 容易ならないことだと思います。それをやるのが教師の仕事ではないでしょうか。 まず書くことがあるようにして,そこから自然に「書く」という活動に流れていくようにする,――それが専門職らしい仕事であると思います。

● 専門職としての技術――書かせるくふう

ここで例を出してみましょう。まず,子どもに聞かせる話を考えます。内容を適当なところ3か所ぐらいで切っておいて,子どもには3つのわくをとった紙を配っておきます。 「これからお話ししますから……」――話をしてあげるとなりますと,子どもたちはみな一様に喜びます。みなさんもご経験あると思います。なんの話かも知らずに,知らないままに,とにかくなまの話というのはうれしいことのようです。「話を途中で切ったら,その時に心に浮かんでいることを書きなさい。どういうふうにでもよいから。練習ですから,上手下手はなし。私が話をやめたときに,心に浮かんでいることを2,3分で文字にする。そういうふうに今日はしましょう」と言って,話し始めます。どんな話を,どんなところで切って話すか,そこが教師の腕前です。必ず思うことがあるという話でないと教材になりません。また,書くことがあふれ出てくるような,うまいところで切らなければだめです。必ず何か思うようなところで切るのです。
実例をひとつ,話のすじをお話ししてみます。ほんのあらすじです。

私には4つほど年上の姉がありまして,すでに亡くなりました。その姉は,早く亡くなるような人でしたせいか,いろいろなことがよくできる人で,まったくうらやましい人でした。まず,せいがすらりと高くて,たいへん美しい人でした。そのうえ,声がきれいで,字を書けば字がうまく,ピアノをひけばピアノがうまく,作文を書けば作文がうまい,数学満点,国語満点。なんて結構なお嬢さまでしょう。それが私の姉だったのです。その姉はまた心もやさしい人でしたが,残念なことにからだが弱かったのです。私はその4つ下の学年におりましたが,私にはいろいろ不得手なことがありました。中でもまずかったのは,そのころの言い方で,図画でした。非常に絵が下手だったのです。
ある日,――5年生の時です。絵の宿題が出ました。それが,うちわの絵でした。うちわに絵を描きいれるのです。画用紙に,実物大に近く,うちわの輪郭がとってあって,そこへ斜めに帯を入れ,そこへ植物を題材にした模様をかくのです。絵の具で色もつけて仕上げてくるように,ということです。
私は先生に紙をいただいて帰りました。「しわにするなよ」ということばを背中に聞きながら。しわにしちゃいけないんだと気を使うし,しかも大嫌いな,いちばん不得手な絵をかくことが明日までという宿題に出たので,とっても憂うつな気分で家へ帰りました。帰るとすぐ机に向かってやり始めました。私はどんないやな宿題でも,やらないでいられるだけの勇気はありませんでした。昔の子どもは宿題をやっていかない勇気なんてあまりありませんから,先生がおっしゃったらもう,きっとやっていかなければと思ったものです。
どういうふうに描いたらよいかわかりませんでしたが,ともかくうちわに斜めに線を二本入れ,幅,今で言えば5センチほどの帯を作ってみました。「この中へ植物を模様にして入れるんだな」と思って外をながめていましたら,庭の小さなぶどう棚が目にはいりました。「あっ,ぶどうがいいかもしれない」と思いつきました。アイデアだけはよかったのですが,ぶどうのつるをうねらせて実を入れたりして,葉を描いて,――まだ,そこまではよかったのです。鉛筆で下書きをかき,そして水彩絵の具でそこをぬるわけです。ぬり始めましたら,さんざん消したり描いたりもしましたから,絵の具がぼやけたくるのです。ぶどうのつるのところは細いわけですが,そこのところを,水彩の絵の具をふくませてぬりましたところ,どうしてもふるえてしまって,ブルブルとなって,だんだん太くなって,にじんでくるではありませんか。ぶどうの実も,紫にちょっとぬってみたのですが,やっぱり丸いところが丸くぬれない。それは不器用な証拠ですが,丸く鉛筆でかいていたのに,絵の具をぬるとブルブルとなるのはどういうわけでしょう。これを見ていましたら,絵を描くこと自身が嫌いなのと,あまりにもつたないその絵に,たまらなく悲しくなってシクシクと泣き出してしまいました。 そのころ,先の姉が肋膜で,次の部屋に寝ていました。胸に針をさして水をとったばかりで絶対安静で寝ていたのですが,私が,シクシク,シクシク,声をしのんで泣いているのがわかったとみえて,蚊の泣くような声で私の名を呼んだのです。姉が私に何の用があるのだろうかと思って,ふすまをそうっと開けて涙顔で姉を見ましたら,姉は「もっておいで」と小さな声で言ったのです。耳もとで言うような小さな声で「もっといで」と言ったのです。姉は隣りの部屋にいても,何がどうしたのか,きっとわかったのでしょう。私は急いで姉のところに絵を持っていきました。すると,「絵の具も,もっといで」と言うのです。それで絵の具も姉のところにもっていきました。そうしましたら,絶対安静で吸飲みで水を飲んでいるような姉なのに,上半身を起こして,絵の具を少し溶き足して,チョッ,チョッ,チョッと,やってくれたのです。姉が一筆加えるたびに,ぶどうがさあっと光ったようにきれいに浮き上がってきて,光沢が出てくるのです。つるのところなどは,姉がなぞってくれましたら,すうっと,すらりとしたきれいな緑の線になって,先の方が巻いているところなんか,えもいわれぬ味が出てきました。 絵を上手にかけない私ですけれども,姉のがすばらしいということだけはわかりました。見るとほれぼれするほどすっかりきれいになっているではありませんか。うれしくて,私は隣の部屋に持っていってしばらく眺めているうちに,なんてすてきにできたかと思って,たちまち涙が乾いてしまいました。絵の具が乾いたところで,きれいにしんを入れてまるめて包んで,あくる日学校へ持っていくばかりにしました。
翌日,私ははずむような気持ちで,その絵を持って学校へ行きました。1時間目に先生が「描いてきたか」とおっしゃいましたので,みな絵を出しました。私はもちろん,ていねいに結んであったひもを解いて,中のしんを取って,先生のところへ持っていきました。先生は「よし,よし」と言って,みんなのを一枚一枚受けとっていらっしゃいました。私のも「よし」と言って,受けとってくださいました。
さて,あくる日になりましたら,昨日出した絵のよくできた人のがはり出してありました。ひょっと見ると,私のもあって,みんなはもう「大村さんの絵はいい」と言って見ているのです。その日はほんとうに私は幸せで,天にものぼるほどでした。それが自分の描いた絵なのだと言えないなんて,考える余裕もありません。うれしくてうれしくて,ただ夢中でした。
それから2,3日たって,先生はあとへ習字作品をはるため,その絵をはずしてみんなに返してくださいました。私も返していただいて,絵のうしろを見ましたら,そこには5つもマルがついていました。当時,3重マルがいちばんよい絵で,次は二つマル,一つマルという順だったのです。私はマルが一つでもついていればうれしいほうでした。マルのつかないときもあったからです。みたら5つもマルがついているので,ほんとうにこれは傑作なんだと思い,わくわくした,そのうれしかった気持ちは今でも忘れられません。
話はここまでなのです。けれども,あとになって考えてみますと,私が絵を出したときに,「よし!」と受け取りながら,先生は一目でお気づきにならないはずはないと思うのです。一目見たらすぐわかります,違う手がはいったことは。私を何年間か教えてくださっている先生が,私の絵を見て,「あっ」とお思いにならないはずはありません。ですから,何事もおわかりになったでしょうに,だまって受けとってくださった。しかもはり出してくださったうえ,5重マルまでくださって,とうとう私の不正を,不問に付してくださったのです。
私はそのお気持ちが,あとになって,自分で教師になってみて,ようくわかるような気がするのです。私が始終,そういうことばかりをしていて,人の描いたものを出したりするような子ではなく,またこれからのちも,そういうことをたびたびやるという子ではない,ということを知っていてくださったのでしょう。そして,私のたった一度のその喜びを奪わないで,とうとう知らん顔をして,喜ばせたまま,だまされてくださった,先生の融通自在な愛情を,今しみじみ感じるのです。そこで先生がなんとおしかりになろうとかまわないわけで,「何だ,こんなもの」とおっしゃったとしても,何の不平も言えたものではありません。そして,どんなに責められても,またほんとうのことを言っておわびするはめになっても当然だと思うのです。けれども,先生がその人をちゃんと見ていて,たった一ぺんのうそを許して,その喜びを守ってくださったということがありがたく,ふかい愛情のあり方であると思って,教師になってから,たまらないほど先生を親しくなつかしく思いました。そして自分が,前後の見境いもなく,ちょっとした一度のできごとで生徒をしかりやすい,片々たることで,子どもを責めやすい,責めても責めなくても結果は同じといったことをも責めやすい,ということを私は深く反省させられました。
この話をもうすこしうまく話すとして,切りどころですが,例えば絵の宿題が出て,思いつきはよかったが自分でかけないところ,そんなところで切りますと,子どもは,たいていすこしは同情してくれます。下手な絵をそのまま出すだろうと思っているでしょう。それを姉に描いてもらった,というところで切ったりしますと,みんなびっくりします。「これはたいへんだ」と思うようです。そして次々に想像して,文章が書けるのです。それから,あくる日先生のところへみんな提出して,私も出しに行った,などというところで切りますと,もうほとんどの子どもは,さあ先生にやられる,と思うわけです。どうやってあやまったろう,先生になぐられたかしら,とか何とか思うようです。何にも思わないということはなく,そして最後に,私が自分の今日の感想として,先生の深い愛情を感じるということになりますと,子どもながら中学生ですから,そういった心情もわかるわけです。
このように話の切りどころによりまして,何にも思わないということがなく,書くことがないどころか,書くことは心の中におのずとわいてくる,そういう状態の中で書く練習をすれば,無味乾燥な練習にならず,生き生きとしたものをとらえながら,その心にわいてくるものを文字をもって書き写すという,作文の基本的な作業ができるのではないかと思います。
ということになりますと,これはやはり作文の専門職の教師の,題材の選び方といい,切り方といい,話し方といい,ただ素人でできるものではないと思います。私が技術家に徹したく,職業意識に徹したいというのは,そういうことなのです。何か,一つのことをやらせようというとき,専門職として恥じないくふうをもって,子どもの前に出たいと思っています。

大村はま著「新編 教えるということ」(ちくま学芸文庫)