林 竹二先生に学ぶ
『学校に教育をとりもどすために』
【教材研究】 p.53-54
教材研究ということについて一言しておきます。教材研究には二つの段階があります。第一は,自分自身のための教材研究で,第二に実際の授業の中でどうしたらこれを子どものなかに入れることができるかを工夫する作業がある。第一次の教材研究が充分なされていて,はじめて教材の本質に即した問題のもちこみ方ができるのです。従来の教材研究というのは,主としてこの第二の段階における教材研究です。
授業の深さをつくり出すもの,あるいは重みのある授業を可能にするものは,根本的にはやはり,与えられた教材を徹底的に自分自身のものにしてしまう第一次教材研究の深さです。それは外にあるものを,自分の内なるものに転化する作業です。それができないと,授業ははじまらない。授業というものは自分から出なければ駄目なんです。
【コミュニケーション】 p.54-55
その事柄が先生の心の中から出てくるのでなければ,それが子どものなかに入ってコミュニケーションが成り立つということはないわけです。
(中略)
教師のふかいところから出たものだけが,生徒のふかいところまで届くのではないかと思います。また声が,話が届くか届かないかは,声の大小で決まることでなく,また発声法の問題でもないようです。語られたことが子どものふかいところまで届くということ,これが子どもの中に一つの事件をおこす,授業が成立するための必要要件です。私には一定のことを教え込むことが,授業の一番大事な仕事だとは思えないのです。授業というものは,一つの教材を使って,何かもっと大事な仕事をすることなんです。教材は手段であり,道具なのです。それが目的になっては困るのです。道具を使って,どの子どもでも,どこか深いところにしまい込んでいる,その子のかけがえのない宝を探しまわり掘り起こす仕事をするために,教師は子どもの中にできるだけ深く入りこむ必要があります。教師たちは何かというと,コミュニケーションと非常に簡単にいいますけれども,いくら口でしゃべって,向こうから答えが出てきても,そんなのは,コミュニケーションではない。コミュニケーションというのは,一つの出会いが成立しなければ,成立していないのです。授業というものはやはり,人が人とが出会う,その一つの場になることなんだという気がいたします。
【授業が成立するために最も基本の要件】 p.346-p.3
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私がお話してみたいと思っていることが,三つほどあります。ひとつは,授業の成立するためのもっとも根底にある条件ともいうべきものを明確にする努力がなされないままで授業をあげつらう風潮がある。これがとめどなく進行してしまうと,困ったことになる。私はかつてある場所で,「授業研究いよいよ盛んにして教育亡びるというようになっては困る」と話したことがあるのですが,ただ技術論として授業研究が盛んになるとそういう結果になるように思うのです。まずそのことを申し上げておきたい。
授業が成立するための最も基本の要件ともいうべきものは,生徒の中に1個の冒すべからざる「人間」を見ることができるかどうかということだと私は思うのです。その「人間」というのは,神の子だといってもいいし,その中には仏性が具わっているといっていい。仏性,仏の性です。仏性というのが備わっているんだということです。生徒という生身の人間の中に,どんな状況のもとでも,やっぱりそれを見るということです。直接にそれが見えればこれにこしたことはないんですけれども,それはひどくむずかしい。それができなければそれを信ずる。直接見ることができないならば,それを信ずるほかない。それがないかぎり,私はどうも教育というものは成立しないんじゃないかと,この頃だんだんつよく感ずるようになってきているのです。それがないと,あとは教育という名の管理しかない。あるいは調教,競馬の馬の調教のようなものになってしまうんじゃないか。そういう気がするんです。これは少し極端な言い方ですけれども,どうも私は,だんだんそんなふうに考えるようになって来ました。湊川にゆき,尼崎に入ってから,何かいっそうそういう気持が強くなりました。で,これはもっと確認を要することだと思いますけれど,今のところそんな気持がしています。
いつか林大造(金時鐘)先生が,教師の間に,生徒を子どもと呼ぶ習慣があることに対して非常ないきどおりを発していたのを,私は記憶しておりますが,やっぱり,そのいきどおりというものは,今,私が申し上げたことに結局はつながってゆくんじゃないか。湊川に学んでいる生徒たちは,本当にしんどい ― 実生活の経験においては教師なんかよりははるかに深い,重い人生に直面して生きているわけです。その生徒たちを,まだ大学を出たばかりの若い教師がそれを「子ども」と呼ぶというのは,それはどういうことかという憤りでしょう。これはやはり本気になって考えてみなければいけないことじゃないか。そこには教師が教師という権威に依り頼んでいる,無意識のうちにそれをたのんでいるということがあるのではないか。権威は教師が自分を守る鎧です。鎧を着て生徒に接しているわけです。鎧を着て生徒に接している場合には,当然生徒も鎧を着る。それは避けることの出来ない帰結です。
いつか言ったことがありますが,生徒たちは仁義を心得ています。こっちがまったく素手でゆけば,向うも素手で迎えます。その勘の狂いといったものは,ないように思います,湊川や尼崎の生徒には。だからこちらに身構えがあれば,キチッとそれに応じた対応の仕方をするわけです。そこが大事なんじゃないかなあという気がします。
教師という意識がこちらにありますと,やはり相手の生徒を一個の人間として見ることがむずかしくなる。自分の持っている知識の量をたのんで知識の乏しい生徒を軽く見ることになりやすい。知識量の乏しいことを教師はともすれば能力の低さとゴッチャにする傾向があるのです。大学を出ていれば,どんなに怠慢で無能力でも義務教育学校の捨子たちに比べれば,学校教育で得られるような知識については,教師が生徒より知識が乏しいというようなことはありえないわけです。ところが,教師はこの種の知識の多少によって生徒を評価する。そこから教師と生徒とのつき合いがはじまることになる。大変に不幸な出発です。そういうことで終始する教師と生徒の関係もある。それでは,教育というものは成立しないんじゃないかと思います。
教師の目に映る生徒が,いわゆる「学力」がどんなに低いものであっても,人間として特別苛酷な条件を背負って人生を生きているのですから,教師たちの理解を越えたきびしい人生経験を持っている。経験の中に知恵の萌芽がある。それが引き出されないままであったり,切り捨てられる,あるいは,自分で封じ込んでしまっていたり,あるいは荒れたり自棄したりしているということはありましても,それにもかかわらず,人間であるという点において,同じものとして教師と生徒は向き合わなければならない。この同じ人間としてそこで向きあうということが根底にならないで,学力の低い人間として生徒を捉え,アルファベットを覚えこませない間は英語の授業ははじまらないというような固定観念にもとづいて,いわゆる低学力に見合う授業が組み立てられていた。しかし生きることの痛苦や,ことばに言いつくせない悲しみや怒りのような人生の経験は,教師よりも重くはげしいものをもっているのです。だから,低学力に見合う授業のようなもので,生徒の中に封じこめられているものが解発される,解き放たれることはありえないのです。それでは,彼らの内部に秘められている,学ぶことへの飢えに答える授業は到底成立しない。
私は彼らが人間としてまっとうにその人生を歩むためどうしても考えてもらいたいと信ずるものをぶつけてみました。それを重く深く受けとめてくれたということが,私の湊川と尼崎での,私のもっとも貴重な経験,私にとってはひとつの救いでもあった経験でした。
【「教育研究」の不毛性】 p.356
学校教育の中で,子どもがふかいところにしまいこんでいる貴重なものが片っぱしから切り捨てられていき,やがて,子ども自身が切り捨てられてゆく学校教育の中での子どもの不幸の一つの根源が,この子ども不在の授業にあると考えるようになりました。私は現場に向かって根気よく,だが,いまにして思えばかなり性急に,授業を根本から考え直すことを訴えましたが,反応はまったく冷たいものでした。特に苦痛であったのは,私が授業にはもっと別な可能性があることを考えてもらうため私の授業を見てもらいますと,それをいわゆる模範授業としか見てくれないことで,したがって授業のスタイルだけが問題になって,授業によって,子どもたちのうちにどんなことが起きているかを全く見ようともしないことでした。私が授業を根本から考え直すことを訴えつづけてきたのは,子どもを現在の学校教育の中での不幸から救いたいからですのに,私が授業について語れば語るほど,教師たちは,彼らの救いになるものを探すだけで,目が子どもの方に向かないのです。私は授業について話し合うことの不毛さを堪えがたく感ずるようになりました。
それで,授業は一切やめ,先生方の前に立って講演をするようなことも一切すまいと決心した次第でありますが,この会で話をすることは前々からの約束ですので,湊川や尼工で私が経験したこと,考えたことを「教授学研究の会」に集まっておられる方々に聞いてもらおうと思ってでてまいりました。
結論を先取りするようなことになりますが,私の感じました授業を語ることの不毛さは,どうも授業研究というものが,教師の立場でばかりなされている結果ではないかという気がいたします。授業というものは本来子どものために行われるべきものであります。ですから,授業が子どもの中に何事もつくり出すことがないならば,どんなにうまい授業であっても,それは無意味だというふうに思います。したがって,授業研究が教師のための授業研究にすぎないものであるならば,授業研究いよいよ盛んにして,教育いよいよ衰えるということになりかねない。そういう気が私には次第に強くなってきております。
【文の中味より,漢字のまちがいに意識が向く】 p.370-p.375
私の経験から言っても,「授業の中の子どもたち」(日本放送協会)のp.162のところに出しておきました岡山真理ちゃんという子どもの感想があります。文字のまちがいも多いたどたどしい感想です。授業中私はうっかり学校でまだ習っていない蛙という字を黒板に漢字で書いた。真理ちゃんは,それを何とかして思い出そうと悪戦苦闘して,間違えながらその「かえる」という字を漢字で書こうとしているわけです。
ところが,先生はそれを「蛙」と直してしまった。私は「もとのが欲しいから送ってください」といったらまちがいをすっかり直して送ってよこした。この先生には,だからどういうおもいでその「蛙」という字をまちがえながらも漢字で書こうとしたのかというこの子どもの気持ちが全然響いていないと思うほかない。まちがいばっかりが見えて,この子どもの美しい心もち,一生懸命の気持ちというものは,全然教師に見えていない。そういう教師の手でおこなわれる教育,授業であれば,子どもの大事なものは平気で切り捨てられ無視されていくにちがいのです。そういうふうにして子どもを切り捨てる授業というものが進行しているんだろうと思うのです。非常にうまい授業の中でも,そういう事態がおきているんだろうと思います。この子どもは授業をうけて「こんなに先生と授業をしたのははじめてです」と書いています。この先生は,この感想を見たときにどういう気持ちになったのだろうかと考えて暗澹とします。私だったら「穴があったら入りたい」という気持ちだろうと思うのですが,しかし,先生はこの時ちっとも騒がないで,平気でまちがいを全部直してよこした。
こういう教育によって子どもというものは正常に教育されるであろうか。しかし,そういう教育の体質のようなものは,実はいまの学校教育の流れの中で,支配的なわけです。子どもは惨めです。それをそのまま放っておいて自分はいい授業をすればいいということでは,教師としての責任は果たせるだろうかということを,私は考えざるを得ないのです。
先にあげた感想は岡山真理ちゃんが,私にかいてくれた手紙だと思います。受持ちの教師に対して閉ざしている心を私に開いたから,こういう手紙がかかれたわけです。これは,初対面の私の40分だけの授業の中でおきたことでした。
ここに,一読してひどくショックを受けた子どもの作文があります。こういうものは,私の1回きりの授業からは決して出てくることのあるはずのないものです。詩の形をとっておりますが,詩とみることができるかどうかは私にはわかりません。これは神戸の子どものかいたものですが,東北弁で読みます。書いたのは小学校3年生の子どもです。
せんせい おこらんとって
せんせい おこらんとってね
わたし ものすごくわるいことした
わたし おみせやさんの
チューインガムとってん
一年生の子とふたりで
チューインガムとってしもてん
すぐ みつかってしもた
きっと かみさんが
おばさんにしらせたんや
わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに
カタカタふるえるねん
わたしが一年生の子が
「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから
いややいうた
一年生の子がとった
でも わたしがわるい
その子の百ばいも千ばいもわるい
わるい
わるい
わるい
わたしがわるい
おかあちゃんに
みつからへんとおもとったのに
やっぱり すぐ みつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお
見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない
しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」
おかあちゃんはなきながら
そないいうねん
わたし ひとりで出ていってん
いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい
どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても
どこへもいくとこあらへん
なんぼ かんがえても
あしばっかりふるえて
なんにも なんがえられへん
おそうに うちへかえって
さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん
けど おかあちゃんは
わたしのかおを見て ないてばかりいる
わたしは どうして
あんなわるいことしてんやろ
もう二日もたっているのに
おかあちゃんは
まだ さみしそうにないている
せんせい どないしよう
それでも「先生 どないしよう」と呼びかけたい先生がいたことが,この子の救いになっていると思います。
子どもに,こんな深い苦悩というものがあるということを,私はこの詩で改めて思い知らされたわけですが,いったいこういう子どもの苦悩がどこまでまともに,学校教育の中でうけとめられているだろうか。道徳の名でいともかんたんに切り捨てられていないか。そういう苦悩をちゃんと受け止めてやって,そして何とかして子どもがこの詩が伝えているような,そういうほんとうに深い子どもの苦悩や美しさというようなものをうけとめて,人間を浄化する力になるような,そういう学校教育というものを何としてでも創り上げていくことに対して,教師は一人一人がそれぞれの形で責任を持っているのだろうと思います。それをやらなければ,教育は救われない。子どもは救われないだろうと思います。
私が,くり返して授業の可能性や,その成立を問題にし,授業を根本から考え直す必要を訴えつづけているのは,授業の中で,授業から締め出され,踏みつけられて哀れな位置に据えおかれつづけている子どもたちの生の声が耳について離れないからです。これは私の正直な気持です。極端な言い方をすれば,私は先生なんかどうなってもいいのです。また先生がどんな下手な授業をしてもいいのです。うまい授業なんかできなくてもいいのです。しかし何とかして,こういう不幸な子どもの,不幸の深さというものがわかって,何としてでも子どもをそこから救い出してやるということに対して責任の意識をもって,その意識に導かれて,子どものために,授業の在り方を根本から考え直すことをやっていただきたいのです。そういう気持がなくて,授業だけ見事な授業をしようとする先生方のお手伝いをする気は,私にはまったくありません。
普通の学校の教員たちからは,授業というものを根本から考え直すという私の訴えは,まったくひややかな反応をこの5,6年受け続けてきました。私は絶望しました。しかし湊川に行って話をしたとき,手応えがまったく違っていました。
『教育の冒険』 ~ 林竹二と宮城教育大学の1970年代 ~
【人間について】 p・119-p.121
1971年2月19日,福島県郡山市の白岩小学校の6年生に行った授業が,林の転機になった。
そのクラスの担任は,林が東北大学時代に指導した,まだ4年目の若い教員だった。出かけた主な目的は彼を励ますことで,自分の授業は「ついで」という気持ちだった。
担任教師の授業を見学したあとで,林は教壇に立った。
「じつは,きょう,わたしは,みなさんと一緒にたいへんむずかしいことを考えてみようと思って来たんです」と言って,林はこどもたちの顔を見わたした。「それは,『一体,人間というのは何だろうか』ということなんです」
「人間について」というのは,宮城教育大学で,林が他の教官と共に行った総合科目の授業のテーマだった。林には,人間の本質にかかわるものであれば,小学生が相手でも,大学のゼミと同様の,深く考えさせる授業ができるのではないかという予感があった。多忙のため準備は間に合わず,仙台から郡山に向かう列車の中で,だいたいの案を考えただけで授業に臨んだ。
だが,子どもたちは授業に引き込まれた。担任の教師が目を見張るほどの集中を見せた。林はその45分の間,子どもたちと「人間について楽しく話し合うことができた」と感じた。林が感じたのは「教える喜び」ではなく,たしかに「共に学ぶ喜び」だった。
そして,後日送られてきた子どもたちの感想を読んで,林は確信した。すべての子どもが「人間について」深く考え,それぞれに何かをつかんだことを。「中学校になっても,林先生が,人間についてのことを,ぼくのひみつにしておきたいと,思いました」という拙い表現に,林は感動がわき上がってくるのを抑えきれなかった。自ら,授業に「開眼」し「病みつき」になった,と表現した。
教師自身が徹底的に追究した課題で授業を行えば,小学生でも高度な水準の学問ができる。その自信を得た林は,多忙な公務の合間を縫って授業を重ねた。小学1年生にも,中学生にも授業をした。都会の学校でも,田舎の学校でも授業をした。テーマは「開国」「人間について」に,「ソクラテス」「創世記」「田中正造」などが加わっていった。
授業を行うとは,教師が用意した地点に生徒を到達させることではなく,「子どもの学びを組織する」ことだと,林は考えていた。だから授業は,子どもたちがそれぞれ自分一人になって考えるときに,はじめて成立する,と。
授業を始めるとき,林はにこにこしている。子どもたちは最初,大学の学長というけど,ただの優しそうなおじいさんに見えるな,と思う。ところが授業が進むにつれて,林は,子どもの知識が表面的であることを激しく暴いていく。いつもの授業のように,自分の知っていることを発表してほめてもらおうとする子どもに,林は尋ねる。「あなたは,なぜそう思うのですか?」「あなたは,本当にそう思いますか?」
子どもたちは戸惑い,がっかりし,悲しくなる。しかし林の励ましを受けて,ようやく自分の頭で考え始める。「本当はどうなんだろう?」林の話を聞きながら,自分の中で激しいやりとりが起こる。「こうかもしれない」「いや,こうかも」頭の中が激しく明滅し,そして一瞬,真実の光を見る。参観者に囲まれていようと,カメラマンが写真を撮っていようと,その姿は目に入らなくなる。