有田和正先生に学ぶ
社会科の教材開発のプロとして有名な有田和正先生が,2014年5月に逝去されました。『社会科 授業常識への挑戦』や『21授業のネタ 有田社会・高学年』など,先生の著作に触れ,授業づくりのヒントをたくさんいただいていました。
先生が亡くなられた年に小学館から発行された『人を育てる』から,これから教師として成長していく上で参考にしたいいくつかの事柄について,紹介させていただきたいと思います。
一度もほめられなかった母親
ある学校のPTAに講演を頼まれて,話をさせてもらった。終わったとたん,挙手している母親がいた。「質問ですか。どうぞ」と言うと,次のように言った。「私は,幼稚園以来,一度もほめられたことがありません。幼稚園ではよくほめられていたのに,学校に入ったら全くほめられなかったのです。先生が,この学校のこと,子どものこと,先生方のことをきっちりほめてくださったのに,聞いていてくやしくて涙が出ました。うちの子どもは結構ほめてもらっているのに,私はどうしてほめられなかったのでしょうか」
これに対して,私は次のように話をした。
「私の常識ではとうてい考えられないことです。子どもはほめて育てるのが一番よく成長しますから。もちろん,ときには叱らなくてはなりません。叱ることで,ほめる効果が出るのです。 ところで,あなたがほめられなかったのは,何かあって,担任が悪い思い込みをしたのではないかと考えられます。そのことが次の担任にも伝えられて,ほめる内容を見えなくしたのでしょう。そうとしか考えられません。
では,こんなときはどうしたらよいでしょう。私も長い間ほめられない学校に勤めていましたので,あなたの気持ちがよくわかります。
私は,『自分で,自分をほめる』ということを身につけて,自分を成長させました。あなたも,大衆の前で,もしかしたらもとの担任がいるところで,今のようなことを言えるということは,すばらしいことです。その勇気を私はほめたいと思います。あなたも,どうぞ,『自分で,ここまでほめられなくても頑張ってきたのだ』と自分をほめてください。
それから,ご自分のお子さんを,うんとほめてください。お子さん,明るく成長しますよ。間違いなく。
齋藤喜博というえらい校長先生が,本に書いていました。『ある死刑囚は,生涯一度もほめられたことがなかった。それで社会をにくみ,死刑になるようなことをしたのだ。ほめることは大事だ』といったことを書いているのを思い出しました。
ほめるということは,ほめられた人も気持ちがいいが,ほめた人も気分がよくなるのです。どうぞ,今までの分をとりもどすつもりで,たくさんほめ,自分もほめて,楽しい人生をおくってください。
ちょっと長くなりましたが,このへんで終わりにします」
くだんの保護者は,涙を流して聞いていた。私も似たような経験をもっていたので,つい長々と話してしまった。会場は,シーンとしていたが,終わったとたん,ものすごい拍手をいただいた。
他にも似たような体験をした人がいたのかもしれない。
忘れられない講演であった。
『人を育てる』(有田和正追悼文集 小学館) p.055
基礎を鍛える
最高の宿題?
『月刊国語教育』2010年7月号(東京法令出版)を桐蔭横浜大学の宮津大蔵先生が送ってくださった。宮津先生の書いた論文「いま求められる宿題の工夫」が4ページにわたって書かれている。私の授業を観て書かれていた。「こんなありがたい観方をしてくださるのだな」と,ありがたく思った。それで少し長いが引用させていただくことにした。
もう20年以上も前のことになるが,筑波大付属小学校の公開研究会で有田和正氏の有名な社会科(そういえばその頃はまだ生活科はなかった。低学年でも社会科だった)「ポスト」の授業(小学2年生)を参観したことがある。二日続けての公開で,私は連日参観したのだが,これが本当の宿題の出し方だと感銘を受けた。
1日目の授業は,有田氏が大きなボール紙を教室に持ち込んで,「これでポストを作ろうじゃないか」と子どもたちに呼びかけるところからスタートした。途端に子どもたちは,「そんな紙じゃポストは作れないよ!」と口々に言い始めた。
その後は,いかに子どもたちがポストについてあやふやな知識しか持っていないかを自覚させることに有田氏は全力を挙げる。
ポストの色は「赤」という子に対して「オレンジだ」と言い張る子。「いや青いポストを見たことがある」という子。「色は決まっていない」と言う子……言い合っているうちに「じゃあ,調べて来ようよ」と誰からともなくそういう声が上がる。じゃあ,形は?差し出し口はいくつ?ポストの回収の時間は決まっている?それが書いてある?ポストにはポストと書いてある?いや,POSTと書いてある?
授業は,普段見慣れているはずのポストを「自分たちはよく見ていなかった」と子どもに自覚させることだけで終わった。
・有田先生は何も教えなかった。
・有田先生は何も次の活動の予告をしなかった。
・有田先生は何もまとめをしなかった。
……と当時の私はただ茫然とするだけだった。
帰りの会が終わると,待ちかねたように子どもたちは校外へ飛び出して行った。有田氏は一言も「宿題です。調べてきましょう」とは言わなかったのにである。
次の日,「いったい今日はどのように授業が展開するのだろう」とわくわくする気持ちで,また朝から参観に出かけた。
子どもたちは,昨日,ランドセルを背負ったまま下校途中に授業で話題になったことについてポストを調べてきたらしい。昨日にはあやふやだったことが,子ども同士の情報交換によってどんどん確認されていく。そして,その過程で新たな課題が生まれ,この日も子どもたちは調べる意欲満々で帰っていった。
1時間目の授業では気がつかなかったが,2時間目の白熱した話し合いの中で,自然と調べる視点について子どもの理解が深まっていくことが私にもわかった。
授業の名人と言われる人の力量はすごい。「宿題です」なんて言わなくても,子どもが自分で課題意識を持って学校から飛び出して行きたくなるような,あんな授業をしてみたいと強く願ったものである。
この引用部分の「小見出し」は「私が見た最高の宿題の出し方」ということで,前と後の文は省略させていただいた。
それにしても20年以上の昔のことを,実にリアルに覚えているのに驚くばかりである。本当にありがたく引用させていただいた。
『人を育てる』(有田和正追悼文集 小学館) p.088
子どもの評価
「子どもを見る」ことは教育の原点。評価と指導は常に一体だ。書かせることで考えを引き出す
教育の原点は「子どもを見る」ことです。子どもを常に評価して,実態をつかむ。その実態を良い方向に変えることこそが教育です。では,どう見るかというと,大前提として子どもに興味や好奇心を持ち,大好きになること。そのうえで,決して減点主義で見ず,育てる目で見ることです。私はよく,この子は何のプロになれるだろうということを考えていました。「虫のプロ」「漢字のプロ」「ほうき使いのプロ」など,クラス全員の子どもが何のプロかを言うことができました。 そうした基本的な見方を踏まえたうえで,より深く子どもを知るには,その考えを積極的に引き出さねばなりません。日ごろの発言からも考えを知ることができますが,それだけでは弱い。そこで「書かせる」ことが重要になります。書かせるために私が活用していたのは「はてな?帳」です。
「はてな?帳」には,子どもたちが疑問に思ったことを何でも自由に書き込みます。身の回りの疑問のほかに,「僕が近ごろよく笑うようになったのはなぜだろう?」など,自分自身や家族のこともよく書いてきます。この「はてな?」の目のつけどころや掘り下げ方で,学習の意欲やレベル,心の状態までもがわかるようになるのです。
提出されたものには,必ず教師が目を通して適正に評価する。ただ,その際に赤でたくさん書き込むのはよくありません。子どもたちが次回からその赤字に沿った答えだけを書くようになるからです。それどころか,子どもの発想力を奪って,どんどん書けなくなってしまいます。私は,良かったところにアンダーラインを引いていたり,「すばらしい」と一言だけ書く程度に留めていました。書き込みはせずに,返却する際に「今日の文はすごかったな。君のいちばん良いところを見たぞ」と口に出して伝えることもありましたね。
弥生十日
1年 ○○○○
さむい冬の間,土の中でがまんしていた虫たちは,南の国から来る春のスピードアップによろこんで,もうすぐ顔を出すでしょう。
車のスピードは,メーターでわかるけど,春のスピードはどうやってわかるんですか。
ずかんでしらべてみると,九州から北海道まで行くのに3か月かかるそうです。
それは,さくらやももの花がさいて行くのでわかるそうです。
春が家の前をとおりかかるのを,せっしゃは,見てみたいのでござる。
春がせいちょうすると夏になるのかな。
子どもを評価するには保護者との信頼関係が不可欠
もう一つ,有田学級にとってなくてはならないツールが,学級通信「おたよりノート」です。私が保護者に伝えたいことや明日の予定,時事問題や季節の変化などを板書し,それを子どもたちが書き写します。毎日毎日ただ書き写すのではだんだん飽きてくるので,慣れてくると語尾を「ございます」や「ありんす」「でR」にするなど工夫をしていました。効果は,書く力が圧倒的に身に付くこと。私が黒板に書き終わるのとほぼ同時に,子どもたちもノートに写し終わるほど成長します。また,保護者との信頼関係を築き,共通認識を持つのにも役立ちます。私は,子どものことや家庭のことでわからないことがあれば,保護者に「教えてください」と素直に言えるくらいでないといけないと考えています。保護者との信頼関係なくして子どもを評価することはできません。
子どもの普段の状態をしっかりと把握する
多数報道されるいじめ事件を見ていると,近ごろの教師たちがあまりにも「いじめ」を発見できないことに驚きます。子どもと常に接し,普段の状態をしっかり把握していれば,少しでも違う動きや表情をしたときに自然と気づくものです。それを見つけられないということは,子どもを見ていないのと同じ。私は特別な用事がない限り,教室にいて子どもたちと過ごしてきましたし,毎朝20分間は必ず子どもと汗まみれになって遊んできました。というのも,子どもがいちばん本音を出すのは遊びのときだからです。普段は元気な子がひとり教室にぽつんと残っている。みんなでドッジボールをしていてもその子にだけはボールが回ってこない。こうしたことはすべて異常なのです。子どもは笑顔が普通なのに,いじめられていたり,何か不満があると途端に笑顔が消えてしまいます。こうしたサインを見落とさないことが大切です。最近,教師が教室にいないことが多いように感じます。原因は,事務的な仕事が増えすぎたためでしょう。私は「授業の合間に事務をしろ」とよく言うのですが,「事務の合間に授業をしている」ような先生も見受けます。校長や教頭の仕事は,各教師の事務量や会議を減らし,担任が子どもといっしょにいられる時間を少しでも多くつくること。ぜひともお願いしたいですね。
ボケとツッコミの技術で笑いのある授業を
子どもたちをどう育てるのか。笑いの多い子どもに育てなければいけません。笑いとは「ゆとり」です。ゆとりがあれば少々のことは笑い飛ばせるもの。ですから,私は「1時間に一度も笑いのない授業をした教師は直ちに逮捕する」と言っているのです。偶発的でもいいので,笑いの多い授業を心掛けてください。今の子どもたちを相手にするには「ボケとツッコミ」の技術が役立ちます。子どもがまともにきたときには,少しボケてかわしてみせたり,「えっ,そうかなぁ?」とわざと知らないふりをしてとぼけてみせたり。そして,ここぞというときに突っこむのです。子どもたちは乗ってきますし,授業が盛り上がりますよ。
笑いは雰囲気をつくらないと,いきなりは出ません。そこで,私は新しいクラスを持つと,いちばん大切なのは笑うことだと説いて,初日から笑う練習をさせていました。笑いの絶えない学校づくりこそが,いじめ等の問題発見にもつながるのです。
もちろん,時には子どもたちを叱ることも必要です。私は注意するときは「8:2の原則」に従っていました。八つほめて,二つ注意する。それも最初から叱るのではなく,まずはほめて,最後に叱ります。
面白い教材が子どもの考えを引き出す
子どもの考えを引き出し,正しく評価するためには,面白い教材を使った面白い授業をすることも大切です。小学1年生を担任していたある日,野良猫が教室に入ってきたことがありました。そこで猫を捕まえて,2階の教室から落とす実験を行うことにしたのです。落とす前に予想をさせてみると,「死んでしまう」という意見や,「回転して4足で立つ」という意見がいろいろと出て盛り上がりでした。翌日,全員が「はてな?帳」にこの実験のことを喜んで書いてきました。アリで試してみたこともあるのですが,こちらは何度やってもどこに落ちたのかわかりませんでしたね(笑)。
私は教材開発にも力を入れてきました。6年生の社会科授業で,「世界各国の洗濯物を干す方角」というテーマで授業をしたことがあります。日本は南で,オーストラリアなどの南半球では逆になるので北になりますね。すると,ある子どもから「先生,赤道直下ではどの方角に干すの?」という質問がきて,これには困りました。
そこで,教科を利用して実際にシンガポールまで調べに行くことにしました。現地で一戸建ての家を見たら,なんと北側と南側両方に物干し竿があったのです。その家の人に聞いてみると,日本が夏のときは北側に,日本が冬のときは南側に干すんだと言っていました。
ただ,基本的にはどこに干しても乾くというのが正解でしたね(笑)。
こういう子どもが身を乗り出してくるようなネタを用意して,その考えを引き出し,討論したり,ほめたりしながら鍛えていく。授業中,子どもたちの柔軟な発想に驚かされることがありました。もちろん教科書の中にも子どもたちの考えを引き出す材料はたくさんつまっているので存分に活用すべきです。
教材とともに大切なのは,教師が「教えすぎないこと」だと,私は考えています。例えば,包丁を使ってリンゴの皮むきをさせるとしましょう。危なっかしい手つきに,思わず手を貸したい衝動に駆られると思いますが,じっと耐えて待つ。子どもが自分で工夫をしてなしとげることが大事で,結果はでこぼこでもいい。教師に子どもたちを「見守る忍耐力」が欠けてきているように感じます。指導要領の内容が増えて,時間がないということもあるでしょう。それでも,時には待つことが子どもを大きく成長させるのだと思います。
授業の最後には,板書の大事なところを消しながら,毎時間その場で復習するようにしていました。その時間にあまり集中していなかった子を指名し,消した部分を答えさせるのです。この子がわかっていれば,クラス全員がわかっているだろうと評価できるからです。
このように,授業は一瞬一瞬が評価であり,指導です。もっと言えば,休み時間や掃除,給食など,子どもたちが学校で過ごす一瞬一瞬のすべてが評価と指導に結びつきます。評価と指導は常に一体なのです。
評価=テストではないわずかな成長を評価する
若い先生方には,固定観念で「評価」とはテストすることだと思わないでほしい。点数化したものだけが評価ではありません。子どもがどれだけ伸びているか。今まで発言が少なかったのが,少し増えた,笑いが少なかったのが,みんなと同じように笑えるようになった,動作が緩慢だったのが,少し俊敏になった。こうしたちょっとした成長を,教師側が小きざみな目当てを設定しつつ評価する。そしてその評価は「頭のカルテ」に収めること。細かい記録ばかり取っていると,子どもはやがて本当のことを言わなくなるので,注意が必要です。子どもの成長は,直線的に伸びていくことはまずありません。だいたいが段階的です。そして伸び悩んで這い回っている時期が長ければ長いほど,一気に伸びるときの伸び幅が大きい。
過去に担任したクラスで,2年間目が出ない子がいました。保護者も子ども自身も悩んでいましたが,「今は力を蓄えている時期なんだ。君は絶対に芽が出るからな」と声をかけて励まし続けていたら,ある時期に爆発的に成長してくれました。
それは私の予想をはるかに超えるものでした。それぞれ成長のタイプが違うので,一人一人にあった指導,評価をすることが大切なのです。
『人を育てる』(有田和正追悼文集 小学館) p.168-