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評価を考える

1 寄り添い,能力を見いだし,伸ばす評価とは

評価を考えるとき,いつもポール・ハーヴェーという人が紹介した次の逸話を思い出します。
30数年前にあった,アメリカ・デトロイトの小学校での話をご紹介します。
科学の授業中に,実験用のネズミが逃げ出す事件が起こりました。担任の女の先生は,驚いたことに目の不自由なスティーヴィー・モリス少年にネズミの捕獲を頼んで,探し出してもらいました。
担任の先生は,スティーヴィーは,目は不自由だが,そのかわりに鋭敏な耳を天から与えられていることを,知っていたのです。
スティーヴィーにとって,自分の才能を認められた生まれてはじめての体験でした。
「その瞬間,自分の持つ能力を先生が認めてくれたその瞬間に,新しい人生がはじまった」
スティーヴィーはこう振り返っています。

それ以来,彼は天から与えられたすばらしい聴力を生かして,ついに「スティーヴィー・ワンダー」の名で,世界を代表する歌手として成長していったのです。
一人の少年の人生に大きな変化をもたらしたこの「教師の評価」こそ,評価が果たすべき真の役割である,と考えるのは,私だけではないと思います。

そもそも教師は何のために生徒を評価するのか。

一人一人の生徒の人間として生きる姿に共感し,努力を称え,人間としての成長を支援するため,唯一そのためにのみ,教師は評価を行うのだと思います。常にこの原点に立ち返りながら,指導と評価というものを考えていきたいものだと思います。

2 自己評価が目指すもの

「自己評価」という言葉が教育現場で日常的にに使われるようになったのは,1993年の学習指導要領の改訂の時期とほぼ重なっています。

1993年の改訂では,「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を図るとともに,基礎的・基本的な内容の指導を徹底し,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」というねらいの下,「新しい学力観」が打ちだされました。小学校の低学年では,社会と理科が廃止され,「生活科」が新設されました。

どの教科でも「自己評価カード」がつくられ,盛んに研究が行われました。研究授業ともなれば,ふだんはやっていない「自己評価」が急遽指導過程の中に組み込まれるのが常でした。しかし,授業終了間際に生徒に渡す「自己評価カード」の多くは

   1.積極的にコミュニケーションに取り組もうとしましたか ―――― A-B-C

のような選択形式をとっており,教師が観察することによって把握すべき内容だと私自身は感じていました。

「なぜ自己評価を行うのか」「自己評価のねらいは何か」「自己評価を行わせる際,留意すべき点は何か」など,多くのことが十分に吟味されないまま行われていたように思います。その思いは,25年を経た今も残念ながら変わっていません。

評価は,<PLAN-DO-SEE>の【SEE】にあたります。この【SEE】が<PLAN-DO-SEE>のサイクルから切り離されて行われれば,本来の機能を果たすことができません。SEE【自己評価】は,自分でPLAN【課題設定】を立て,自分なりにDO【実践】してこそ,意味があるのです。

「総合的な学習の時間」の中で,【SEE】(具体的には,自己評価や振り返り,ポートフォリオ評価,そしてメタ認知能力など)が重視されるのは,子どもたちが【PLAN-DO-SEE】のサイクルをじっくり体験できる時間だからです。

私が「自己評価」について考える際,いつも立ち返るのは1991年5月30日に宮城教育大学附属中学校の公開研究会で行われた名古屋大学の安彦忠彦先生の講演(「自己教育力」の吟味と中学校カリキュラム編成の原理)です。

12年前の講演ですが,今次教育改革における「総合的な学習の時間」の創設の原理ともなっている「自己教育力」について本質的な分析を行っており,私の中ではますます重要度を増している講演です。是非,熟読してください。

3 自信を失っている日本の子ども-この現実をどう打開するか

少し古くなりますが,1989年から1990年にかけて行われた国際比較調査「都市環境の中の子どもたち」のデータを,見ていきたいと思います。

(1) 調査の目的

都市環境に住む子どもたちが,毎日の生活の中でどのような幸福感の中に暮らし,自分たちの未来像をどのようなものとして描いているかが,調査のメインテーマである。

(2) サンプル(調査の対象)

対象は小学5年生で,東京,札幌,福岡の子ども1,282人,トーランス,ガーディナ(ロサンゼルス郊外)の子ども376人,オークランド,ウェリントン(ニュージーランド)の子ども1,046人,バンコク、ロブリー(タイ)の子ども864人,計3,568人。調査時期は1989年10月から1990年4月であった。
なお本レポートでは,これらのデータを4地域にまとめ,それぞれ東京,ロス,オークランド,バンコクと呼称してゆくことにする。

(3)  自己評価



子どもに「勉強のできる子ですか」「人気のある子ですか」等の自己評価を求めると,日本の子どもの自己評価は極めて低い。これは文化的文脈(けんそん,控え目など)で解釈するよりも,自信を失っている状態ととらえたほうが適切ではないだろうか。(表)



また,鳴門教育大学の村川雅弘先生は論文「総合的な学習のカリキュラム開発」の中で,『平成11年度全国教育研究所連盟「総合的学習等」研究協議会実施報告書』(ベネッセ教育研究所,2000年)のデータに基づいて,次のように日本の子どもたちの姿をとらえています。
数学や理科の成績(中学校2年)は世界の中でもトップクラス(41か国中3位)であるが、小学校4年生で理科を好きと答えた子どもの割合は17か国中8位で,中学校2年生で理科が好きと答えた子どもの割合は17か国中最下位となる。
「理科は生活の中で大切」「将来は科学を使う仕事をしたい」と考える子どもの割合はともに最下位(21か国中)である。
小学校5年生が自分自身を「勉強ができる」「友だちから人気がある」「正直」「親切」「よく働く」「勇気がある」と捉えている割合も全ての項目において最下位(東京,ソウル,北京,オークランドなど6都市)である。親の子どもの成長に対する満足度も6か国(スウェーデン,イギリス,アメリカ,タイ,韓国,日本)の中で全ての発達段階において最下位である。
このような姿は,すでに1991年の講演の中で安彦忠彦先生も指摘しています。
安彦先生は,その原因を次のように分析しています。

自己評価というより,他者からのチェックが過剰である。他者評価はよそよそしく客観的な感じがあり,絶対的な印象を受ける。そのために,あやまった優越感や救いがたい絶望感を抱きがちである。

もし教師の評価が,子どもの意欲や自信を削ぐ評価になっているとしたら,早急にあらためなければならないと思います。スティービー・ワンダーの例にもあるように,「子どもの可能性を見出し,育んでいく」本来の評価にあらためなければならないと思うのです。