tanbowaii's world
HOME > 授業論 > 諸外国における総合学習の歴史

諸外国における総合学習の歴史

――アメリカ,イギリス及びオーストラリアを事例として――

『社会科教育』1996・12 特集「総合学習的発想-授業にどう入れるか」
上智大学文学部教授 加藤幸次氏

1 「全体は部分の総和ではない」

近代公立学校制度は,いわゆる先進諸国に19世紀後半成立した。したがって,「総合学習」として最初に見られた例は,デューイ・スクールにおいてであった,と言ってよい。たとえば,「家を建てよう」というプロジェクトでは,子どもたちは木材を購入する資金をつくることから始めて,かなり長期にわたって学習活動を行った。また,羊を実際に飼育して,毛を刈り,糸につむぎ「羊毛の服づくり」というプロジェクト学習も行われた。さらに,実際にクッキーなどを焼いたりする「お店屋さんごっこ」といわれた学習活動も行われた。

言うまでもなく,こうしたプロジェクト学習は後にキルパトリックによって「プロジェクト・メソッド」と名づけられ,当時の進歩主義教育を標榜した学校に広がっていった。

したがって,デューイは,総合学習の「生みの親」と言ってよい。彼は次のように言う。

「私たちはその一つが数学的で,他が物理的で,もう一つが歴史的などといった層化地球に住んでいる訳ではない。すべての学習は一つの共通な偉大な世界の中にある諸々の関係の中から生じてくるものである。子どもたちはこの共通な世界と関わり合いながら,多様であるが具体的かつ生き生きとした関係をもって生きている。子どもたちの学習は自ら統一されたものである。…学校を生活とかかわらせよ,そうすれば,すべての学習は必ず相互にかかわってくる」
(Dewey,J.,"The Child and the Curriculum." University of Chicago Press, 1943, p.91)

少し長い引用であるが,デューイが学習というものを「総合学習」と考えており,今日のような教科の縦割学習を否定していたことがよく分かる。ここに総合学習の持つ基本的な特性が示されており,総合学習は「部分」ではなく「全体」を問題にする学習であること,さらに,この「全体」は「部分の総和」という数学的なものでないことが分かる。

2 「関連・融合」カリキュラムの登場

パーカーとジロリメックによれば,総合学習(興味深いことに,英語の表記としては,「comprehensive」学習という表記は全く存在せず,「integrated, integrating, unified」学習と表記されている)は1930年代と1950年代にそれぞれ関心が高まった,とされている。
(Parker,W.C. and Jorolimek, J. "Social Studies in Elementary Education" Merill, 1996(10th edition), p.356)

他方,ナドセンは当時の『教育インデックス』を調べ,「総合(integration)」ということを扱った論文の数を年ごとに調べている。
(Knudson, C. W. "What Do Educators Mean by Integration" Harvard Educational Review, 1937, p.15-26)

それによれば, 1931年に8論文,32年2論文,33年7論文,34年13,35年22,36年20論文が公けにされていると言う。彼は,1930年代の総合学習への関心は「中等学校」のカリキュラムの在り方にかかわるものであったという。当時の中等学校では,英語,数学,社会科学,科学,芸術などといった教科が縦系列でばらばらに教えられており,そうしたあり方は青年期にある若者のニーズに合っていない,と述べている。そして,若者が「自分と自分が住んでいる世界との統一」を果たすことができないでいるという問題意識を強く持っていた。こうした関心の中から,教科と教科を「関連(corelation)」あるいは「融合(fusion)」させるカリキュラムが考えられるようになった。前者は,言うまでもなく,英語と社会科あるいは数学と理科などの単元を関連させて教えるカリキュラムであり,後者は,さらに両者の統合をはかったカリキュラムのあり方である。

興味深いことに,進歩主義教育協会は,1932年に『中等学校カリキュラム検討委員会』(Commission on Secondary School Curriculum)を組織しているが,この委員会は「今日の中等学校が青年期の発達にとって必須なニーズと,現代生活から来るインパクトに応えていない」と教育の問題点を指摘している。「現代社会は社会的,経済的に急速な変化を遂げており,新しい生産システム,生産品の分配手段が出現しつつある。…そのために,大規模な知的協同の必要性がある。」

ここに,今日で言う,教科間の学際的(interdisciplinary)なアプローチの源をみることができる。

3 専門化・断片化への反省と総合化への試行

1930年代に中等学校のカリキュラムがどの程度「関連」あるいは「融合」カリキュラムとして構成されたかははっきりしないが,1950年代に再びその機運が高まった。全米教育研究協会(NSSE)は,1957年に『教育経験の統合(The Integration of Educational Experiences)』というタイトルの年報を作成しており,その巻末に載せられている参考文献の数は107に及ぶ。言うまでもなく,時代は「コア・カリキュラム」の時代であり,「生活適応(Life Adjustment)教育」の時代であった。

この時代の総合化への関心は,1930年代に生じた関心の延長上にあったと考えられる。すなわち,主たる関心は中等学校のカリキュラムにおける総合化にあった。 1950年代に顕著に見られた社会の変化に中等学校の教育内容が対応していないし,また,青年期にある若者のニーズにも応えていない,との主張が繰り返されている。 他方,当時進行していった学問分野の専門化による断片化に対する抵抗を読み取ることができる。 この時代には,民主主義社会を形成するよき市民を育成するために「教科の生活化(life function)」が主張される一方で,教科のより広い総合化をめざした「広領域(broadfield)」カリキュラムが提唱されている。
(Carpehart,B. E. "Illustrative Courses and Programs in Selected Secondary Schools" The 57th Yearbook of NSSE, 1958, p.194-217)

そこに,当時の一般教育(general education)への関心を見ることができる。

広領域カリキュラムは(1)人文科学-芸術と文学,(2)人間の研究-倫理,政治学,心理学,社会学,(哲学と歴史は人文科学と人間の研究領域をつなぐもの)(3)自然科学という三つの領域により構成されるものと考えられた。

4 「総合された」と「総合する」カリキュラム

1930年代及び1950年代に見られたこうした動きは,まず,中等学校レベルでのカリキュラムの再編成に関わっていたし,あくまでも,「教科の統合」を進めた動きであった。別な言い方をすると,これはまだ教科主義の枠内にあり,教科を「関連」させたり,「融合」したり,より大きく「統合」しようとする動きであった。

他方,1960年代に入ると,イギリスの「インフォーマル教育」が注目されるところとなる。1967年には「プラウデン報告書(Plowden Report)」が公にされ,イギリスの主に初等学校における児童中心主義教育への関心が高まった。

そのカリキュラムをみると,数学,英語,図工及び「一般学習(general studies)」という形が一般的であった。ここで言う「一般学習」とは,総合学習を意味していると思われる。この学習は,「トピック学習」とか「プロジェクト・ワーク」とか呼ばれているもので,歴史的,地理的,科学的なアプローチをとる「総合学習(integrated studies)」である。多くの場合,テーマ別に構成される。ガルトンらの調査によると,これらの学習時間の比は数学29%,英語36%,図工11%,一般学習24%であったと言う。すなわち,学校での学習時間のうち4分の1の時間はトピック学習やプロジェクト・ワークにあてられているのである。

一般学習では,子どもたちは自分で学習課題をみつけ,自分で解決して行くわけで,教師は支援者となる。考え方としては,この一般学習は個人で追求する「個人トピックあるいはプロジェクト」となりうるし,小グループであるいは学級で追求する「集団トピックあるいはプロジェクト」となりうる。前者は,自分一人で自分の好きな学習課題について追求していく学習であり,後者は,集団で協力しながら追求していくものである。

ただし,イギリスのインフォーマル教育の中で主張され実践された「トピック学習」あるいは「プロジェクト・ワーク」は,教師が前もって組織した「総合された」学習(integrated studies)ではなく,子どもたちが自らその場その場で「総合していく」学習(integrating studies)だ,ということである。総合する主体が教師であるのが一般的と考えられるが,この学習では主体があくまでも学習者である子どもたちであり,学習活動に伴って総合しつつある(integrating)状態を重視したのである。

5 興味・関心を組織する「ウェビング」

イギリスのインフォーマル教育は,70年代にアメリカに導入され「オープン教育」と名づけられ,全米に広がっていった。当時,バーモンド,ニューヨーク,ノースダコダ,カリフォルニア州などに多くのオープン・スクールが見られた。アメリカに導入された「オープン教育」は,単に初等学校だけでなく中等学校にも広がり,多くのオープン・スペースを持った学校が建設されていった。カリキュラムに関して言えば,総合学習をプランニングする際の技術として,「ウェビング」という手法が開発された。

すなわち,子どもたちが学習者として学習を進めていくときに,子どもたちの興味・関心の流れを図式化しようとする技法である。それは,ちょうどクモが巣を作るときのように似ているところから「ウェビング(webbing)」と名づけられた。



コールが示した具体例を一つ紹介しよう。子どもたちがサーカスの見学に行き,そこで活躍した「道化師」について調べてみたいとしたとき,この学習をどのように発展させて行くべきであろうか。子どもたちの興味・関心はいろいろな形の疑問として生じてくるに違いない。「あの顔の化粧はどうしてやっているのだろうか」「あのおかしい服装はどうしてつくっているのだろうか」「どうしてあんなにおもしろい動きができるのだろうか」「そもそも道化というものは,いつ,どこで始まったのだろうか」「他の国では道化はいるのだろうか,いるとしたらどんな姿をしているのだろうか」などと,子どもたちの疑問は続く。

他方,「道化師」を中心とした興味・関心が全く新しいトピックを開くことにもつながる。子どもたちが見た道化師がなす身体的なバランスから,新たに「バランス」といったトピックに関心を寄せることにもなる。

このようにウェビングという技法は,学習活動のまとまりを示すとともに,それ自体として学習内容となる。前項で述べたごとく,教師によって前もって「総合された(integrated)」カリキュラムとして総合学習が示されるのに対して,この技法では,子どもたちが教師の支援を得ながらも,自ら学習を総合化していくことによって「総合する(integrating)」カリキュラムをつくることができるのである。ウェビングによって,学習内容が子どもの恣意性に左右されることなく,一連の意味ある活動として示すことができるようになった,と言ってよい。

6 「親学問」の学際化と「インターデシプリナリ・アプローチ」

先に述べたごとく,今世紀初頭にデューイによって示された総合学習の実践は,進歩主義教育を標榜する学校に引き継がれた。他方,1930年代と50年代の二度にわたって,教科の在り方が問われる中で,教科をなんらかの形で結び付けようとする総合学習の試みが見られた。

60年代に入ると,イギリスのインフォーマル教育での実践が公にされ,そこでの学習活動が総合学習であることが明らかにされた。しかし,80年代になると,政治の保守化にともなって伝統的な教科カリキュラムが強調されることになる。その典型的な事例は1988年のイギリスにおける「ナショナル・カリキュラム」の制定である。このことはアメリカにおいても同様であった。

しかし,今日再びどの国においても総合学習が注目され始めている。その大きな理由の一つは,大学における学問・科学の在り方が「学際化(interdisciplinary)」しつつあることである。言い換えると,従来重視されてきた教科自体の系統性が崩れてしまったことにある。教科学習が拠り所としてきた「親学問」が変化してしまったのである。学部名を見ても,国際学部,人間科学部,情報科学部など,従来のディシプリンを表すものではなくなってしまった。従来の学問は,学際化され,総合化されつつあるのである。すなわち,小学校から高等学校までの教科の終着点が変化してしまったのである。

オーストラリアの中等学校の例を引いて考えてみると,社会科は次のような科目により構成されている。第8学年から第10学年までを見ると,「地球と人間」「古代世界」「変化する世界」「西オーストラリア」「オーストラリア政府」「オーストラリア社会」「アジア研究」「法学」「オーストラリア地形」「国際協力と紛争」「世界環境問題」「経済システムと課題」(すべて一学期コース)となっている。このように科目名だけを見ても,地理や歴史を中心とした従来の社会科とは大きく違っていることがわかる。特に,第10学年で学習する「国際協力と紛争」「世界環境問題」「経済システムと課題」は「学際性」の強い科目と考えてよい。

このことは「科学/テクノロジー」という教科についても言えることで,従来の理科に見られた科目に加えて,「水――この不可欠な液体」「家庭におけるエネルギー」などの学際的な科目が見られる。

他方,アメリカでも,「ホール・ランゲッジ」や「STS――科学・技術・社会」「文脈の中の数学」などといった学際化されたカリキュラムが登場しつつある。

7 「課題性」に取り組むカリキュラム

繰り返し述べれば,今日どの国をとっても総合学習への関心が高まっている。その理由のもう一つは,現代社会の課題性が認識されてきたことである。言うまでもなく,地球環境はきわめて深刻な状況にある。他方,情報化と国際化の波は従来の社会の在り方に大きな変化をもたらしてきている。同時に,1930年代からすでに問題とされているように,従来のカリキュラムが青年期にもある若者のニーズあるいは課題に対応していないことへの反省として「総合学習」の必要性が認識されてきているのである。

今日最も盛んに総合学習が構想され実践されているのは,アメリカやイギリスの「ミドル・スクール(中間学校)」においてである。ミドル・スクール運動は1970年代に始まったと考えられる。ミドル・スクールとは,一般的に言えば,第6学年を中学校に取り込み,第9学年を高等学校に移動させることによって,新たに生まれた第6,第7,第8学年から成る新しい学校である。アメリカではほとんどの学区で,このミドル・スクールができている。

この青年期前期の子どもたちのニーズに対応したカリキュラムづくりとその実践が盛んに行われている。一般的には,英語,社会,数学,理科の4教科でティームを組み,一つのテーマの下に学習カリキュラムをつくることが多い。

例えば,「日本の研究」というテーマに対してインターデシプリナリ・アプローチを取ることが多い。他方,子どもたちの疑問をウェビングしてテーマに迫るアプローチも盛んである。ビームはインターデシプリナリ・アプローチを批判し,子どもたちの個人的な関心と社会の課題を結び付けることを主張している。

「青年期前期にある者は,現実のより広い社会の中に生きている」と言う。あきらかに,このミドル・スクール運動に見られる総合学習への関心は高まっているのである。