瞬時の評価で
有田 和正(教材・授業開発研究所代表,前愛知教育大学教授)
『指導と評価』2001年7月号
『指導と評価』2001年7月号
1 総合的学習の面白さ
総合的学習の面白さはどんなことだろうか。人によって考え方は違うだろうが,私は次のように考えている。(1) 身近なことから新しい世界が見える面白さ
いろいろな面白さがある中で,新しい世界が見えることほど面白いことはない。例えば,いまや子どもたちまでよく食べるようになった「キムチ」,スーパーマーケットに行くと何種類も売っている。このキムチとは,どういう意味だろうか。ふとこんな疑問をもって調べてみると,韓国語で「漬けもの」という意味であった。
「白菜キムチ」を買って容器を見ると,「原産地・大韓民国」と書いてある。スーパーやデパートには日本産のキムチも売っている。
そこで,韓国産と日本産のキムチを食べ比べてみる。辛いのが韓国産であまり辛くないのが日本産というのが,以前の定説であった。私自身も食べて確認していた。
ところが,今回食べ比べをしてみると,どちらが韓国産なのかわからない。味が変わらない。これはおかしい,と早速調べてみる。
韓国のキムチ工場では,日本用に辛味を抑えたキムチをつくり輸出していたが,売れなくなった。それならと,本場の味を前面に出したキムチをつくり,日本へ輸出しはじめたら売れ出したという。
つまり,いまや日本と韓国に"味境"(味の国境)はないのである。日本人は何でも食べるので,韓国固有の味も受け入れてしまったのである。日本のキムチ工場も,売れ筋を基本につくるので,自然に韓国産と同じような味になってきたという。もちろん,辛くないキムチもあるし,激辛のキムチもある。
では,キムチの辛さを見分ける方法はあるのだろうか。それは,「原材料名」を書いているところに着目することであった。 原材料は,多い順番に書いてあるので,唐辛子が上位にあるものほど辛く,唐辛子が下位の方に書かれているものほど辛くないのである。
「白菜,大根,ニンニク,ショウガ,唐辛子粉,食塩,いわし塩辛,玉葱,もち米粉,大ネギ,昆布粉末調味料」
といったことが原材料名のところに書かれている。ここでは五番目に唐辛子粉が書かれている。かなり辛い。これがもっと後に書かれてあれば,辛さがそうでもないものであり,もっと前にあれば激辛ということになる。
韓国には,キムチの種類は200以上もあるという。ちなみに,日本の漬けもの(売り出されているもの)は800種を越えている。日本人は,多種多様な漬けものを食べていることがわかる。もっとも漬けものは,地域性の強いものもある。その地域にとれるものを漬けものにし,その地域だけで食べるようなものもある。
私は原材料名をよくみて驚いた。「いわし塩辛」がキムチに入っていることである。これは旨み成分をつくり出し,乳酸菌の発酵を促すために使われているという。
動物性の材料が使われると乳酸菌の発酵が多くなり,ヨーグルトに匹敵するほどの食品になるという。乳酸菌は整腸作用と免疫力を高める効果があるというから,カキ,イカ,エビなどの動物性の材料が入っているものを食べた方が健康によいのかもしれない。 いずれにしても,キムチに魚介類や果物なども使われていて,健康のためによい食品であることが見えてくる。身近な漬けものから新しい世界が見えてきたのである。
水や緑茶,焼き鳥,鶏のから揚げ,魚,ホウレンソウ,シイタケ,ネギ……,スーパーマーケットのどの品物でもよいから,それを追究していくと,日本の産地はもちろんのこと,外国まで見えてくる。驚くようなものまで輸入されていることが見えるかどうか。
これが総合の面白さであり,評価の観点の一つである。
(2) 調べ方の工夫ができる面白さ
自分が「はてな?」と思ったことを調べる。そのとき,「食べて→調べる」「見て→調べる」「たずねて→調べる」「実験して→調べる」「作ってみて→調べる」「切ったり,焼いたり,煮たりして→調べる」「百科事典で→調べる」「協力して→調べる」等々,多様な調べ方を能力に応じて工夫できる。これはたまらなく面白いことだ。
例えば,あさがおは,朝早く開花する。何度見ようとしても開花の瞬間を見ることができない。それで父親に相談した。父親も母親もいっしょに考えてくれた。あさがおのつぼみの横に大きな時計を置き,焦点を合わせたビデオカメラを設置した。
これで安心して寝た。翌朝見ると開花しており,ビデオはゆっくり回っていた。まき戻して見ると,朝4時半ごろから開花しはじめ,6時には完全に開花していた。つまり,あさがおは,20度前後だと1時半かけてゆっくり開花することがわかった。
こんな面白い実験を思いつくのである。教科の学習でも,こんな方法の工夫をさせたいものである。
三浦半島のみかんづくりのことを調べようとした。しかし,資料が全くない。子どもは考えた。まず,電話で三浦農協にたずねた。農協の人は,ある農家を紹介してくれた。その農家へ,夜になると電話した。
ある子は,和歌山や愛媛,静岡などの資料を調べていた。「今,三浦みかんのことを調べているんでしょ」と言ったら,「みかんづくりの条件は,どこでも同じだと思うので,資料のあるもので調べているのです」。すごい子どもだと思った。応用が効くのである。これこそ,基礎学力の第一条件である。
三浦へ電話した子は,「三浦だけではなくもっと広く情報を集めたい」と,愛媛や熊本の農協へも電話し,新しい情報を入手した。
私の「調べ方」のねらいを越えた活動をしている。もちろん評価はAである。 私どものねらっているのは「教師のねらいを越える子ビも」である。内容もどんどん拡げていき,方法も工夫していく。
インターネットを使って情報を入手する子どももいる。
(3) どこまでも追究できる面白さ
教師の時間は限られている。一つの単元にかけられる時間も決まっている。学習しなければならないことも決まっている。しかし,総合的学習は,どんな内容を,どこまでやるかは「各学校の創意工夫」になっている。だから,教科の学習で一応区切りがついたことでも,子どもたちが追究したいというならば,総合の時間で追究させることが総合のねらいを達成することになる。
4年生の社会科で,水道の学習をした。もっと追究したいという子どもは,個人やグループで水道の追究をすることにした。 ある子どもは,「水道とは何か」ということを調べた。水道には三種類あることがわかった。一つは,いわゆる上水道であり,二つは,玉川上水,神四上水,千川上水という歴史的な水道であり,三つは,紀伊水道とか豊後水道というように海峡の流れの速い海流をいうことがわかった。 また,浄水場,ポンプ場,配水管の三つを備えているものを「水道」(上水道)ということもわかってきた。同じように,下水道も,下水道管,ポンプ場,浄水場(終末処理場)を備えているものをいう。
この子は,面白くなって,水道の歴史を調べはじめた。東京の水道の歴史を調べているうちに,外国にそのもとがあることがわかり,それをたどっているうちにモヘンジョダロ・ハラッパヘ行きついた。モヘンジョダロ・ハラッパに,世界の水道の始まりがあるというのである。
研究物を立派にまとめた。部厚いものであった。社会科の水の学習が終わって半年後のことである。この間,ずっと追究しっづけていたのである。
能力に応じ,興味関心に応じて,どこまでも追究できる面白さがあるのが総合的学習である。こういうことから,評価のめあては個人単位になる。一人ひとりに応じた評価のめやすを決めておき,こきざみに評価するのである。これまでの評価は,単元のまとめなどの区切りのところで行うことが多かった。
もっと小さなめあてを具体的に決めて,毎時間,それも時間のはじめ,なか,終わりくらいに評価することだ。
こんなこきざみな評価をいちいち記録しておられない。もし記録していたら,「評価のための評価」になってしまう。
私が自分が行ってきたことで提案しているのは,「頭のカルテに記入せよ」ということである。 40人より少ない人数のクラスを担任したことは一度もない。それでも,一人ひとりの子どものことを「頭のカルテ」に記入し,保護者や本人から,「今日はどうでしたか?」と問われれば,「こうですよ」と言えた。ノートやポートフォリオもいいけれど,「頭のカルテ」に記入することが一番である。
ヘチマを育てているうちに,その不思議さに気づいた教師と子どもが,面白い追究をしている (徳島県の村上茂氏である)。
ヘチマやあさがおのことを「本」で調べようとすることはよくない。中心は栽培しながら観察することである。これを他の文献と比べてみようとするとき,初めて本を見るべきであって,本物を観察しないで本に頼ってはいけない。このことも「評価の対象」になる。
ヘチマのまきひげの数は,本葉の数より少ないことに気づいた子どもたちは,「何こ少ないか」調べはじめた。一本一本のつるを受け持って調べた。
すると,驚くべきことがわかった。
「本葉の数-3=まきひげの数」
という式が成り立つことがわかったのである。
-3はどこにあるかさがす。すると,ヘチマの根元に近い方の三枚の本葉からは,まきひげが出ていないことを見つけた。
今度はまきひげの巻き方は,右巻きか左巻きか調べた。これは決まっていないようだ。あさがおは左巻きと決まっているのに。キュウリ,カボチャ,ブドウなどのまきひげも調べた。これらも右巻き左巻きあって決まっていない。
ヘチマのまきひげをよく観察すると,三つに分かれているものがほとんどだ。なかには四つに分かれたものもある。
その一つ一つのまきひげが,支柱をしっかりとつかんでいる。本葉が30枚あれば27のまきひげが,それぞれ三つに分かれているとすれば,なんと81か所も支柱をつかんでいるのである。
ここで気づく-だから台風が来ても,ヘチマは倒れないのだと。
いやまだある。三つに分かれたまきひげの一つ一つが,左の図のようになっていることを発見して歓声をあげる。
①は右巻きが八つ,途中から左巻き八つ
②は左巻き四つ,右巻きが四つ
③は左巻き六つ,右巻きが六つ
というように,一本のまきひげの中に左巻きと右巻きが同じ数だけ巻いているのだ。このため,茎がゆれても途中からの逆ひねりによってゆれがおさまる。支柱の方がゆれても,同じように茎へ伝わらない。このため,台風にも強いことがわかった。
まきひげの強さの実験もした。できたての巻きのないひげは重さ300gでプツン,①のまきひげだと2000g,枯れて堅くなったまきひげは3000gと,死してなお子孫を守っている。よく巻いたものが,強度も高いことがわかる。バネの役目をしているからである。
ヘチマでこんなすごい追究もできるのだ。総合的学習は面白いと思う。
(4) 生き方を深める面白さ
ゆったりと楽しみながら追究しているうちに,「ヘチマってまきひげで協力しながら生きているのだな」といったことを学ぶ。水道だって,下水道だって一気に今のような形になったのではなく,多くの人々の工夫と努力によって,よりよいものにつくり上げてきていることに気づき,感動する。こういう感動が,自然のうちに生き方を深めることになる。他のものを見るときの見方になる。
2 瞬時の評価で瞬時に指導を
評価の基本は,① 子どもたちが面白がって熱中して追究しているか,
② 追究していることがしだいに見えるようになっているか(新しい世界が広がっているか),
③ その子らしい調べ方の工夫をしたり,調べ方ができているか,
④ 途中で視点の転換をしながら追究そのものが深まっているか,
といったことをつかんでいくことである。
このためには,一人ひとりの子どもをよくウォッチングすることである。テストはなじまないので,視点(今述べた①~④)を決めてウォッチングしたり,ふだんの言動と追究中の比較をしてみたりすることである。これによって子どもへの支援のしかたが違ってくる。
支援のしかたは,
子どもウォッチングに基づき「瞬時の評価」をし,適切な支援をすることである。あとでゆっくり評価なんてプロ教師のすることではない。授業の進行に合わせて「瞬時の評価」をし,「瞬時に指導」をすべきである。これが指導と評価の一体ということだ。
※1 『「頭のカルテ」で子どもをとらえる技術』 明治図書
※2 『総合的学習のための子どもウォッチング術』 明治図書
※3 『「はてな?」で総合的学習を創る先生』 図書文化