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たしか2000年の夏の頃だったと思う。新教育課程の本格実施に向けて,小学校も中学校も「総合的な学習の時間」をどうしていくのか,必死の模索を続けていた。
そんな中,広瀬図書館の開架書庫をながめているとき,飛び込んできた文字。
「心に火をつける人,消す人」
新教育課程のキーワード「生きる力」,総合的な学習の時間を中心に子どもに身に付けさせたい力-「生きる力」
そのために教師に求められているのは,まさに「心に火をつける人」としての資質ではないか,と考えていた矢先の偶然の出会い。

FACILITATOR 心に火をつける人,消す人

赤池学・金谷年展・中雄政幸著(TBSブリタニカ)

発想を180度転換させてみると

どうすれば子どもを救えるか。そこで望まれる大人の役割とは何か。教育をどう改革するのか。学校をどういう方向へ向かわせるのか。親や教師は子どもとどう向き合うべきなのか。
これらの議論に共通するものがある。それは,子どもはさまざまな問題の根源であり,子どもたちを蝕む病巣を探り出し,それに大人がどう対応しどう解決していくか,という考え方である。

しかし本書では全く逆の見方をしてみたい。
つまり「大人が問題の根源であり,子どもにその問題解決の糸口がある」と考え,それを探ってみようと思うのだ。この考え方こそ,実は,子どもたちに顕在化している問題を確実に解決する方法だと思うからである。
本書ではこの考え方を「ユース・アズ・リソース」(Youth As Resource)と呼ぶ。つまり,子どもたちはまだ活用されていない「資源」であり,すべての子どもが社会に貢献できる何かを持っている,そして子どもへの認識を「問題発生の根源」から「問題解決の根源」へと発想転換する考え方なのである。

例えばアメリカでこんな例があった。10歳の男の子たちが,大勢のお年寄りがアパートに引きこもって外出でさない,外出するのが恐い,あるいは病気で外に出られないという事実に目を向けた。
彼らはチームをつくり,週に二度,お年寄りのアパートを訪ねた。食べ物を持っていく,お使いをしてあげる,話し相手になるといったことを繰り返すうちに,お年寄りたちは週に二度,自分たちを訪ねてくる者がいることを心待ちにするようになった。
話をしているうちに子どもたちは,お年寄りが70年から90年前のこの街のことをよく覚えていることに気づいた。 そして次のプロジェクトでは,インタビューをしながら地域の100年史を作成した。その結果,高齢者問題,地域の環境問題などに大人の方が気づかされるようになり,それがその後,地域のまちづくりの重要なコアになっていったのである。

教育,人材育成における第三の選択

今,学校教育についてさまざまな議論が交わされている。

管理型・画一型教育が子どもに知識の詰め込みを強要し,彼らをしばりつけている。子どもたちはそうした環境のなかで個性を殺され,それが登校拒否や校内暴力という形になって現われている。だから子どもたちにもっと自由を与え,個性を伸ばしていくべきだというのが第一の認識。

逆に,子どもの人権の名の下に,個性重視,人権尊重を訴え,子どもに自由を与え過ぎてしまったという意見もある。そのため子どもたちは本能や欲求のおもむくままで,学校は荒れ放題になっている。むしろ,尊厳をもって子どもに対し,道徳や倫理をしっかり教え込むべきではないかというのが第二の認識。

学校だけではない。家庭においても構図は同じである。厳しくしつけるか,自由を与えるか。かくして,この二極対立の意見は多くの教育論議の俎上にのぼるわけである。 この二つの代表的な意見は,どちらもある部分は正しく,またある部分では不十分な認識である。これから本書で提唱する「子どもの参画」は,このどちらにも似て非なる第三の選択肢なのである。

参画とは,人間の生命や社会生活に影響を与える意思決定の過程を共有するプロセスのことをいう。それは,すなわち一人ひとりが自由であるとともに,個人の行動に関してもパブリックな行動についても責任を持ち,自分のもっとも自分らしい部分を実現化する,自己実現化のプロセスでもある。

先ほど述べたアメリカの子どもたちの例は,まさにこの「子どもの参画」を実践したものだった。この事例で最も重要なのは,子どもたちがまちづくりの議論に加わりながら,リソース(人的資源)としての力を発揮して社会の問題解決に寄与したことと,それが同時に子どもたちにとってすばらしい教育の場になっていたという事実である。こうした状況を生み出すのが,まさに「子どもの参画」なのである。この参画が結果として,いかに子どもの人格形成に重要であるか,子どもの能力開発に重要であるかということは,これから本書で紹介するさまざまな事例を通して認識していただけると思う。

2002年には,20歳以下の子どもが世界全人口に占める割合が50%を越えるという予想もある。子どもたちの参画は,まさに人類と地球の未来を支える「礎」に他ならない。「子どもの参画」こそ,第一と第二の選択を越えた,教育,人材育成の新たなパラダイムといえるのである。

見せかけの参画と本当の参画

ニューヨーク市立大学教授のロジャー・ハート氏は,子どもの参画についてこう語っている。「私はユニセフの『子どもの権利条約』に関係して多くの国を回りました。この条約には子どもたちの保護が明記されているだけではなく,子どもたちが社会の一員として,自分の生活や自分たちのコミュニティに関して発言権を持つことが保障されている,という項目も含まれているのです。

なぜ子どもの参画が必要なのか。
まず第一に,子どもたちが生きていく上で,その生活の質を保障するために欠かせないからです。権利条約の根底にあるのは,子どもたちも自らの権利を守るために発言権を持つ必要があるということです。自分たちが一人の人間であり,権利を持ち,必要ならば声をあげなければいけないと,子どもたち自身が認識することが重要なのです。

第二は,子どもたち自身が本来,意義のある活動に参画したいという欲求,強い意志を持っている。逆にいえば,参画によって子どもたちは達成感とともに大きな喜びや前向きの姿勢を得ることができるのです。

第三は,子どもたちに,彼らが住んでいる社会との関係を持たせ,社会に適応する機会を与える。これによって子どもは社会への適応能力を身につけることができます。

第四は,これからのコミュニティづくり,社会づくりには,子どもの知恵や感性が不可欠なことです。

そして第五は,真の民主主義を実現するために,子どもの段階から参画することによって民主的なプロセスを身につけていく必要があるのです」

あなたは心に火をつける人? 消す人?

「凡庸な教師はただしゃべる。少しましな教師は理解させようと努める。優れた教師は自らやってみせる。本当に優れた教師は生徒の心に火をつける。」

これはイギリスの教育学者,ウィリアム・アーサーワード氏の言葉である。

心に火をつけるということ。それは,子どもたちが真に参画の道を歩めるように力づけること,と言い換えてもよいだろう。その子が自分を見つけ,そしてその子の持つ最もよいところが社会の中で発揮できるように道標を示してやること。子どもの参画に力を貸す,いわば触媒としての役割,これからの時代はそうした「ファシリテーター(Facilitator)」こそが望まれるのである。

Facilitatorの「Facilitate」には,「(事を)容易にする,楽にする,促進(助長)する」という意味がある。しかし,ファシリテ一夕ーの仕事は相手を尊重し受容するということであり,好き勝手にやらせることではない。

子どもの育成のための重要な要素として,私たちは四つの「C」を提唱している。

四つの「C」とは,
である。

子どもは参画することにより,そのプロセスの中で自分の「能力」が何かを発見し,そのスキルを磨いていく。社会への関与においては「社会性」が身につき,社会の一員として自分も何かの役に立っているという意識から「自信」が生まれる。さらに,異質なものや異なった考え方を尊重し,それを受容することによって,いろいろな人の身になって考えることができるようになり,「人格」が形成されていく。この四つの「C」は,実は子どもの参画の実践なくしては達成できないものなのである。