豊かさを見直す
季刊誌『算数授業研究』 初教出版 2001年夏(第18号)
1 「豊かさ」の指標を変える
これまで,算数の世界では,「よい」とされる子どもの状況にどのようなものがあったろうか。
一つには「知識の量が多い」ということ。
二等辺三角形だとか正三角形だとか,立方体や直方体などの用語をよく知っている。また,円の面積=半径×半径×円周率などといった公式をたくさん覚えているということ。
しかし,このことが,その内容をよく理解していることと誤解されていた。
「二等辺三角形とはどのような形か」と問えば,当然様々な問題がそこに登場する。例えば正三角形は二等辺三角形の仲間なのか,どのような向きに置いても二等辺三角形と言っていいのかといった問題にぶつかる。それを疑問に思って追求することにおもしろさを感じるかどうかが問題なのである。
もしも,そのような問題の追究の後に得られた知識ならば,これはただの知識に止まることなく,豊かな知識と言えるものになる。
二つ目には,その「知識が使える」ということである。
持てる知識が使えるとなれば,一般には言うまでもなく算数がよくできると評価されよう。いくつかの円の面積を求める問題に,先の公式を当てはめ,答えが求められれば当然のことであろう。 しかし,これとてもただペーパーの問題に公式が当てはめられるということだけでは満足のできるものとは言い難い。
本当は,その円の面積を求める目的にそっての活動にならなければ意味がない。ペーパーテストの上だけでなく,実際の場で使うことができること。あるいは,そのことを使って他の問題がうまく解決できることが望ましいことになる。
三つ目は,計算が「速くできる」ということ。
問題の答えを速く出せるということが「算数ができる」という評価になっていた。
計算が速くできることをよしとする子どもの多くは,そのこと自体を目的としている。計算が速くできることは豊かな算数とは無関係である。速くできることの中身が問われていい。数に対する鋭い感覚が生かされて,計算の工夫ができた上での速さであれば,これは豊かなものといってもいい。
四つ目。「正確である」ということ。
計算であれば間違いのないこと。図を描くことであればきれいに描けること。技術がたしかであるということが評価の対象であった。
たしかに正確な技術を持っていることは素晴らしいことである。しかし,それは自ら求めての活動になっていることが望まれる。
このように考えるとき,これまで考えていた豊かさの指標を変える必要があることがわかる。
- 「与えられた知識を覚える」ことから「感得された知識」へ。
- 「形式的に使える」ものから「実際の場で使える」ものへ。
- 「速い計算」から「数感覚を生かした計算」へ。
- 「正確な技能」から「自ら求めた正確さ」へ。
2 感得された知識を求めて
こんなことが評価の対象になってくると,予習をしてきて,授業で対象となることがらの知識をすでに知っているだけで,その子はできる子であると勘違いすることはなくなる。自ら考え発見してつくり上げた知識と,周りから教えられたことを他の子どもより早く知っていたというに過ぎない知識との違いを見抜かなければならない。塾に通って先取りした知識となっているような状況はとうてい豊かな知識を持っているとは言い難い。
望むらくは,自らの発見によって感得して身につけた知識でありたい。
つまり身につけた知識の質の違いによって,それが豊かなものかどうかが決まってくると言える。
例えば,台形の面積の求め方。教科書には出てこなくなるこの内容について考えてみるとよくわかる。
単純に公式「(上底+下底)×高さ÷2」を知っているというのも知識である。
しかし,これがどのようにしてできたかを説明できるかどうか。さらに,いろいろな説明の仕方があるということまでも言えるかどうか。これはなかなか表面的にはわからないが,後者のほうが豊かな知識を持っていると言えるのは疑いない。こんなことは,発見的な授業を積極的に体験していなければできないことである。
さらに,そのことが感動を持って身についたものかどうかも問題である。それは,他の場面にそのことが使えるかどうか,似たような場面に出会ったとき使えるものになっているということにもつながる。つまり,感得した知識かどうかということである。
3 授業の中の「豊かさ」を求めて
授業の中で素早く反応する子は,反応の素早さだけで頭がいいとされることがある。表面的な思考だけが評価の対象となっていて,じっくりと考えていることがなかなか評価の対象にならない。ときどきボンヤリしている子どもがいるが,その子が一つのことにこだわって意外に深い思考をしていることに気づくことがある。我々はそれを見つけて,みんなのものにしていきたい。
そのためには,ふとした疑問や発言に耳を貸す。ふとした動作や行動に目を向ける。表に出にくい表現に声をかける。こんな対応ができれば,出来上がったものだけがよいとされる子どもの価値観を変えていくことになるはずである。