愛車MR-4F-ツーリング日記
2012.06.18(月) 閖上の今
東日本大震災から1年3ヶ月経過,名取川堤防→閖上漁港→貞山堀→美田園地区→高舘
走行距離41.04キロ。最高49.0キロ。平均速度17.0キロ。
昨年3月11日の東日本大震災により,私が最も愛していた広浦湾東岸から貞山運河の堤防を走る閖上のサイクリングロードが 消滅してしまいました。
震災以降,何度か同じ方面に足を伸ばしてはいたのですが,その変わり果てた姿を写真に収める気持ちにはとてもならずにいました。
あれから1年と3か月が経過し,瓦礫の撤去は確かに進んでいるものの,生業や住居の再建,そして心の再建はいっこうに進まない状況が続いています。
その状況を打開できないもどかしさ(むしろ,怒りというべきもの)があるものの,2年前と同じコースをたどり記録を残すことも必要と考え,早朝4時30分に出発して,一路閖上を目指しました。
名取川を遡上した津波は,河川敷の畑を飲み込みながら河口から8キロ付近まで到達しました。昨春は瓦礫の撤去などで作付けを 見送った畑も,河口まで3.2キロ付近から上流の畑は震災前と同程度にまで回復していました。
堤防の「あんどん松」を過ぎ,閖上大橋の下をくぐり抜けると景色は一変します。
かつて堤防の南に沿って民家が軒を連ね,丹精した花々が陽射しに揺れていたあの景色は,いまはどこにもありません。
舗装のはがれた道にジグソーパズルのピースが一つ。震災前に植えられていたバーベナやビオラが芽を出し健気に花を咲かせています。
閖上港には幾艘かの漁船がもやい,仮設の「閖上漁港」も完成しました。
しかし,かつての「閖上朝市」の跡地はにぎわいもなく,2年前には地元のおじさんとおばさんが自転車を停めて談笑していたのどかな光景も消えてしまいました。
小塚原から下増田にかけての水田は,ほ場整備事業前の湿原や干潟に戻りつつあるようでした。
人間は自然の大きな営みの中で生かされているに過ぎないのだと感じながら,ペダルをこぎました。
現在は名取市の丘陵部に移転している宮城農業高校の跡地には,津波に巻き込まれた車がうずたかく重ねられたままになっています。
貞山堀の両側の堤防は,押し波と引き波でもろくも崩れ,水面をすべるように練習していた東北大ボート部の姿もありません。
しばらく堤防に佇んでいると漁協のおんちゃんが乗った小型の船が列をなして貞山堀を南下してきました。一瞬捜索隊かしらんと思いましたが, どうやらしじみ漁にきた船のようでした。
船腹に「絆(宮城・三重)」の文字が。
空を見上げれば,野鳥のさえずりがひきもきらずに響き渡り,こんなに穏やかなのに……。
あの日さえなければ,この一帯にかつてののどかな農漁村の光景がいつまでも続いていたのに……。
2010.07.19(月) 美しき閖上
海の日の早朝,名取川堤防→閖上漁港→仙台空港→美田園地区→高舘
走行距離37.20キロ。最高41.4キロ。平均速度15.5キロ。
午前4時15分,テールランプを点滅させながら出発。朝の冷気を感じながら,名取川堤防沿いをひたすら東進。
朝もやが河川敷の畑をやさしくつつむなか,早朝の散歩やジョギングを楽しむ人々とあいさつを交わしながら,閖上漁港に向かう。
水揚げしたばかりの魚をより分ける人,網の修理をする人,市場の前でスケボーに興じる中年のおっちゃん。
「閖上朝市」は5時半開店。今の時刻は5時15分,前掛けをした人々が忙しそうに準備をしています。
閖上サイクルスポーツセンターの脇を始点に,海辺や貞山堀に沿ってサイクリングロードが伸びています。
自転車でコースに入ると素早く横走りする生き物の姿。その数数百匹。朝のカニ類大移動でした。
松林を吹き渡る風と木漏れ日の中を快走します。
貞山堀では東北大ボート部が合宿中。鏡のような水面を力強く進むボートが描く波紋が涼しげです。
やがて,仙台空港が間近に。数機のジェット機がゆっくり羽根を休めています。
帰りにくぐった新幹線のガードで鉄の橋げたの刻印に感動。
「元中田 東京側 下り線」,そして「元中田 盛岡側 下り線」。正確な工事を目指す心意気を感じたのでした。
最後の青空はゴール間近の地点で撮ったもの。今日も暑そうです(予想最高気温32度)。
2009.11.07(土) 高舘-海の見える丘公園
晩秋の朝,凛とした空気を感じて