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荒浜中学校および増田中学校で作成した英語科通信の一例

亘理町立荒浜中学校 英語科教科通信 Arahama Street

1982年に中学校の教員になり,新任教師として,3年間亘理町立荒浜中学校に勤務しました。
1年目は1年生の副担任として,2年目は3年担任,3年目は1年担任として,先輩方の熱い指導を受け充実した日々を過ごすことができました。 生徒会を担当し,徹底的に自主的自治的な活動を目指して,伸び伸びと活動させていただき,荒中祭では校庭のキャンプファイヤーを囲み,生徒と一緒になって燃えたものです。 現在も荒浜地区を挙げて連綿と続いている「50km歩く会」(現在は「街道を歩く会」)の立ち上げにも携わりました。
荒浜中学校は各学年2クラスの規模でしたので,基本的に全学年の英語を担当することができました。というわけで,誰にも遠慮することなく自分の好きなように教科経営をすることができ,新米教師としては実に幸せなスタートを切ることができました。
自然の成り行きとして,生徒たちの学びを豊かなものにすべく,全学年で英語科通信Arahama Streetを発行してもいました。

1984英語科教科通信 Arahama Street (全33号) No.1~No.33 

名取市立増田中学校 英語科教科通信 Masuda Street

1985年に名取市立増田中学校に異動,2年担任としてスタートを切りました。荒浜中学校に較べ学級数が多かったため,英語は当然一つの学年,生徒数にして220名くらいしか指導できませんでした。
ここでもやはり,荒浜中学校に続いて教科通信を発行させていただきました。

1988年は増田中学校で担任をもった最後の年で,3年4組担任として学校行事等に燃えに燃えた1年でした。
この年の Masuda Street をあらためて読み返すと,子どもたちの個性あふれる取組や意欲的な自由英作文が紙面をにぎわし,子どもたち一人一人の 表情が自然に目に浮かんできます。
この年の秋にはソウルオリンピックがあり,日本選手の活躍を伝える英字新聞(Daily Yomiuri)から,見事金メダルを獲得した鈴木大地や体操銅メダルの 池谷幸雄などの記事を,晴れやかな写真付きで紹介しています。
自分で言うのもなんですが,生きた言葉としての英語に触れさせたいという,意気込みが伝わってきます。

1985英語科教科通信 Masuda Street (全35号中,34号分) No.1~No.24,No.24, No.26~No.29,No.31,No.35 

1988英語科教科通信 Masuda Street (全34号中,32号分) No.1~No.9,No.11~No.30,No.31,No.34 

次に紹介するMasuda Streetは増田中学校5年目の教科通信です。2年生の学年主任として,「学年だより」の発行と並行しながら,作成しました。
初任から数えて8年間の積み重ねが生きているでしょうか。
基本は手書きで,得意(?)のカットや似顔絵も入れながら,楽しんで作成した様子が伝わってきます。後半の方で当時普及し始めたワープロ(親指シフトのOasys 30Fがお気に入り)で作成した部分も増えてきているのが分かります。でもやはり,手書きの方がずっと温かみがあって,生徒の心にまっすぐに届くような気がします。
子どもたちが工夫して取り組んでいるノートや個性豊かな作品を紹介したりしながら,あの手この手で学習意欲を喚起しようとしていました。定期考査を評価の資料を得るためでなく,基礎基本の定着と学力向上の手段として活用していたことも,分かっていただけると思います。
この年は全部で28号発行しましたが,26号だけが見当たらないのが,残念です。
先生方の指導の参考にしていただければ,幸いです。

1989英語科教科通信 Masuda Street (全28号中,27号分) No.1~No.25,No.27,No.28